NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送で注目を集める「徳川家康」。長きにわたる戦乱の世に終止符を打って江戸幕府を開いた家康が、いかにして「天下人」までのぼりつめたのか。また、どのようにして盤石な政治体制を築いたのか。
家康を取り巻く重要人物たちとの関係性をひもときながら「人間・徳川家康」に迫る連載『なぜ天下人になれた?「人間・徳川家康」の実像』(毎週日曜日配信)の第17回は、浅井長政が織田信長を裏切った不可解な理由を解説する。
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織田信長の妹を妻に迎えた浅井長政
徳川家康と浅井長政は、織田信長と同盟を組むことで、地位を確保して勢力を伸ばそうとした。
ともに同盟を強化するために、織田氏との政略結婚を行った点でも共通している。家康の嫡男である信康と、信長の娘である徳姫とが結婚。一方の長政は、信長の妹である市を自分の妻に迎えている。信長は、親戚となった家康と長政に大きな期待をかけていたことだろう。
だが、家康と長政がそれぞれたどった運命は、まるで異なるものとなった。家康が信長との同盟を守り続けたのに対して、長政は信長を裏切って、朝倉氏と手を組み、織田氏と敵対することになる。その結果、長政は信長に攻め滅ぼされてしまう。
長政はいったい、なぜ信長を裏切ったのか。その根拠とされてきたのが、浅井氏と朝倉氏との深い関係である。
浅井氏は、浅井長政と、その父である浅井久政、そして祖父の浅井亮政の3代をもって「浅井三代」と呼ばれる。「浅井三代」の基礎を築いた亮政が台頭した背景から説明していきたい。
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