徳川家康「信長に戦で捨てられても従属」の深い訳 越前侵攻中に起こった浅井長政の裏切りで混乱

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金崎宮
福井県敦賀市の金ヶ崎城址の麓にある金崎宮(写真:Asawa27/PIXTA)
NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送で注目を集める「徳川家康」。長きにわたる戦乱の世に終止符を打って江戸幕府を開いた家康が、いかにして「天下人」までのぼりつめたのか。また、どのようにして盤石な政治体制を築いたのか。
家康を取り巻く重要人物たちとの関係性をひもときながら「人間・徳川家康」に迫る連載『なぜ天下人になれた?「人間・徳川家康」の実像』(毎週日曜日配信)の第15回は、上洛を果たした織田信長とその後の家康との関係について解説する。
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上洛後に上下関係が色濃くなった信長と家康

徳川家康の生き残り戦略は、いたってシンプルなものだった。「自分より強い者に逆らわない」というスタンスを貫いて、天下人まで上り詰めた。

幼少期は今川家のもとで人質となった家康だったが、今川義元が織田信長に討たれるや否や、岡崎城で独立。後継者の今川氏真ではなく、勢い盛んな織田信長と手を組んだ。家康は、信長との同盟関係を最後まで破綻させることはなく、守り抜いている。信長の死後、今度は秀吉に臣下の礼をとった家康。秀吉が臨終間近となると、息子の将来を託されるほどの信用を築き上げた。

巨大な傘のもとでうまく立ち回ったかに見える家康。だが、その生き方は周囲が思うより、はるかに過酷なものだった。信長との同盟関係についても、だんだんと対等なものではなくなっていく。信長が「上洛」を果たして勢いづくと、上下関係はいよいよ色濃くなり、家康は対応に追われることになる。

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