室町幕府の将軍との関係性も重視した家康
徳川家康は「とにかく耐え忍んで、結果的に天下を手にした」というイメージで語られがちだ。次の有名な狂歌は目にしたことがあるだろう。
「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに 食ふは徳川」
だが、家康はただ転がり込んできた「天下」を、手中に収めたわけではもちろんない。天下を意識したかどうかはともかく、一旗揚げるべく、かなりアグレッシブにチャンスをつかみにいっていた。
今川義元が織田信長に討ち取られると、今川氏を見限って織田氏と同盟を組んだのも、「強い者には逆らわない」という家康のシンプルな生き残り術を実践するべく、積極的に動いた結果だった(前回記事『今川を裏切る徳川家康、織田信長には従い続けた訳』参照)。
ただ、それだけで安心することなく、家康は室町幕府の将軍との関係性も重視した。家康は、室町幕府第13代征夷大将軍である足利義輝に馬を贈っている。実のところ、将軍は信長、家康、今川氏真の3人に、飛脚に用いる馬を要請していた。それにいち早く反応をしたのが家康だった。将軍は御内書(将軍が発給した文書)にこう残している。
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