足利義昭が将軍につくまで
室町幕府最後の将軍となった足利義昭は、第12代将軍・足利義晴の次男として生まれました。兄は「剣豪将軍」と呼ばれた第13代将軍・足利義輝です。
足利将軍家は、家督相続者以外の子供は仏門に入るしきたりになっていたので、義昭も一条院門跡として「覚慶」と名乗っていました。そのまま僧として一生を終えるはずでしたが、将軍である兄・義輝が永禄の変で三好三人衆に殺されると、還俗して「義秋」を名乗り、兄の後継となるべく活動をはじめます。義輝を殺害した三好三人衆は、義輝のいとこである義栄(よしひで)を次の将軍に擁立するために動きました。
義秋は、全国の諸大名に決起を促します。これに応えたのが尾張の織田信長でした。義秋は信長を支援すべく、信長が対立していた美濃の斎藤龍興との和睦を仲介します。これに一度は応じた龍興でしたが、信長が京へ出兵すると和睦を破棄し攻撃してきたため、信長の出兵は失敗に終わりました。
その後、義秋は朝倉氏を頼りますが、朝倉氏の当主・義景は上洛の意思がなく、その間にライバルの義栄が第14代将軍の座についてしまいます。
この頃に義秋は、名を「義昭」に改めました。
失意の義昭を救ったのは信長でした。
先年、美濃の攻略を成功させていた信長は、松永久秀を抱き込んで六角氏を下し、ついに上洛を開始します。これに呼応し、義昭は上洛を果たしました。信長は将軍・義栄を擁する三好勢を凄まじい勢いで排除し、畿内を制圧します。
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