今川氏真の数奇な生涯
今川氏真は「国を滅ぼした暗君」として語られることの多い人物です。ただ「海道一の弓取り」とまで称された父・今川義元が桶狭間の合戦で織田信長に討ち取られたとき、氏真はまだ22歳。若い氏真が、大敗し将を失った大国をいきなり治めるのは過酷だったと思われます。氏真には同情すべき点もあるでしょう。
まずは、そんな今川氏真の生涯を簡単に振り返っていきます。
氏真は、1538年に義元と武田信虎の娘である定恵院の間に生まれます。氏真は義元の嫡子であり今川家の後継者として育てられますが、前述のとおり彼が22歳のときに父・義元が討たれ急遽、家督を継ぐことになります。しかし早々に松平元康(家康)が反旗を翻し、続いて東三河や遠江でも反乱が続きました。
氏真は当初、祖母の寿桂尼の後見を受けながら徳政令や楽市を発して、なんとか国力を保とうとしますが、やがて駿河を狙う武田信玄の脅威が現実化していきます。信玄の嫡男である義信の妻は、氏真の姉(姉か妹かは生年が不明なため定かではない)なので、義信は信玄の駿河攻めに否定的でした。
そこで信玄は義信を廃嫡し氏真の姉を今川家に帰して婚姻関係を解消、同時にそれまで結んでいた同盟関係も破棄して駿河攻めを決行します。結果的に氏真は信玄に敗れて駿河を取られ、ここに戦国大名としての今川家が滅びました。
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