しかし今川家そのものがなくなったわけではありません。氏真は妻の実家である北条家を頼り、北条家の庇護を受けながら駿河奪還を目指します。また氏真は、信玄の攻勢を受けるなか家康とも和睦しており、北条・徳川のパイプ役となりました。
その後、氏真は北条を離れ、家康の庇護下に移ります。といっても事実上の家臣のような立場だったようです。しかし武田家滅亡後は京にのぼり、そこで生活をしていたとされています。最終的には徳川体制のもとに組み込まれ、1615年に77歳の生涯を終えました。妻である早川殿とは最後まで仲睦まじかったようです。
氏真は愚かな人物だったのか
氏真はドラマだけでなく、歴史上でも辛辣な批評をされてきました。『徳川実紀』には、父を討たれた恨みを果たすそぶりも見せない氏真の弱腰ぶりに、三河の者たちが家康のもとにはせ参じたと書かれています。『甲陽軍鑑』でも、氏真を「佞臣を重用して国を滅ぼした」と批判。氏真が国を奪われたことは事実であり、そこを批判されるのは致し方ないことでしょう。
たしかに氏真は当時22歳でしたが、それを言うなら家康は18歳。氏真の頼りなさが浮き彫りになるのも道理です。ただ家康はその後、天下を治める英傑なので、比べるのはかわいそうな気もします。
そしてまわりを見れば、甲斐の武田信玄、相模の北条氏康と、父・今川義元でようやく釣り合いの取れるような英雄たちに囲まれていたわけです。
北条は比較的、氏真に同情的でしたが、戦国最強と呼ばれた武田信玄は今川領を狙っていました。そこで起こる国内の動揺は推し量るべきでしょう。
当時の戦国大名は小さな勢力の集合体が国を形成していました。
それを率いる国人にとって最も大事なことは、自分の組織の防衛です。今川義元という偉大なリーダーがいたからこそ今川傘下に入っていたわけで、義元がいなくなれば当然、彼らは自分たちの安全保障という観点で意思決定をします。
義元の大きな過ちは、嫡子である氏真に、周りを納得させるだけの実績を積ませていなかったことです。もちろん自分がこんなに早く死ぬとは思っていなかったでしょうから、仕方ない部分もあります。これは偉大なリーダーゆえの過ちかもしれません。
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