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戦争経済はどのように賄われたのか?【後編】戦時の「貯蓄増強運動」で急増した預貯金は戦後、預金封鎖の間に進行したインフレで価値を失った

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戦時貯蓄債券 金十五円(写真:MeijiShowa/アフロ)

戦時下の日本財政においては大増税も行われたが、その戦争財源の大半は国債発行によって調達された。

1937~1945年度の9年度で総額1368億円(軍事公債1084億円、歳入補填公債226億円、事業公債41億円)の国債が発行された。同期間の臨時軍事費特別会計と一般会計の純計歳出総額2358億円に対する国債・借入金の比率は73%に達した。

第2次世界大戦期の各国政府財政収入の国債依存率はアメリカ59%、イギリス51%、ドイツ51%であったことと比較しても、日本の戦争財政の国債・借入金依存率は高いものであった。

前編では戦時下の経済成長の実態、戦時経済と財政の循環、国民負担・増税について概観した。この後編では、国債依存の戦争財政が、敗戦後も含めて、国民経済と国民生活にどのような影響を与えたかを整理しよう。

国民の預貯金が戦争継続に不可欠だった

日本の戦時国債の発行方式の内訳は、日銀直接引受66%、大蔵省預金部資金引受30%、郵便局売り出し4%であった。アメリカ、イギリスの戦時国債発行は原則として市中消化されていたのに比べても日本の戦費調達方式は特異であった。

日銀の直接引受による国債発行は政府にとって戦費調達を容易にした。しかしそのままでは、日銀券(紙幣)が日銀→政府(軍事支出)→軍需産業→関連企業・給与というルートで市中に充満して戦時インフレが激化してしまう。

そこで日銀は引受国債を速やかに市中売却つまり金融機関に購入させ、紙幣の日銀への再吸収に努めた。大蔵省預金部資金とは全国の郵便貯金を原資とする政府管理の資金運用制度であり、従来、国債・地方債などの資金源になっていた。

その意味では、戦時国債が円滑に発行・消化されるためには、戦時経済の下で金融機関・郵便局の資金力つまり国民の預貯金を拡充することが不可欠だった。

また戦時インフレを抑制するためにも、名目的に増加する個人所得がそのまま購買力として市中に出現しないように、その多くを預貯金に吸収する必要があった。

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