
財政赤字は心配無用、インフレがひどくならない限りは――。そんな主張が数年前から賛否双方の議論を呼んできた。
MMT(現代貨幣理論)。それは、主流経済学を覆す真理なのか、はたまた荒唐無稽なトンデモ論か。見極めるうえでは、貨幣の話と財政の話が絡み合ったMMTの論理を丁寧に腑分けする必要がある。
「解剖」のメスならぬ筆をとったのは、財政史と金融論を横断して研究してきた伊藤修・埼玉大学名誉教授。全7回にわたる論考をお届けする。
※2024年3月3日(日曜)6:00までは無料で全文をご覧いただけます
第4回まででMMTの貨幣・金融論の検討を終えた。そこには、財政問題を考えるにあたって基本的な再考を要するような内容はなかった。
したがってここからは、問題を複雑化させる引き込み線に混乱させられることなく財政論の部分を検討できる。
MMTの主張は、政府債務は(インフレがひどくならない限り)いくらでも可能であり、心配無用ということであった。
レイ=島倉型の――前近代の王制と同じ政府貨幣の発行だとする――考え方の場合には単純であって、たしかに発行はいくらでもできる。ただし、歴史が示す通り、政府貨幣発行が一定を超えるとインフレが発生する。あるいはその前に、政府貨幣の価値下落が予想され、信用が失われる。この限界がある。
一方、中野型のように現代の制度を前提にするなら(こちらが普通であろう)、国債の発行の形をとるはずである。この場合の問題は、国債を発行することは好きなだけできても、購入・消化される必要があること、それが可能かどうかはケースによって異なってくることにある。
各ケースでどういう変化が起きるかを考えてみよう。
政府債務が増えると何が起きるか
(1)国債を中央銀行でなく民間部門が消化して、同額の政府支出が行われるとき、起きる変化は次のようなケースに分かれるであろう。
Ⓐ消化するのが民間非銀行(企業・個人)部門の場合、その資産側で国債がふえ、貨幣は国債購入で減少するが政府支払いで増加する結果、変わらない。合計で貯蓄が増加し、消費・実物投資支出が減少する。このもとで消化能力にはもちろん限定があり、いくらでも消化できるわけではない。
Ⓑ民間銀行が国債を消化し、その分だけ貸し出しなど他の資産を減らす場合は、ベースマネー必要量(需要)は変わらない。民間銀行の消化額はその資産運用方針によって決まり、もちろん限定があって、いくらでも消化できるわけではない。
Ⓒ民間銀行が他の資産を減らさない場合は、ベースマネー必要量(需要)が増加する。それを中央銀行が供給しなければ、貸し出しなど他の資産を減らさざるをえない。この面から、国債消化には限定があり、いくらでも消化できるわけではない。
Ⓓ中央銀行が供給する(貸し応じる)なら、民間銀行は貸し出しなどを減らさずに済み、貨幣は増加する。国債消化は、ベースマネー供給増加量によって決まる。
――MMTではおそらくⒶ~Ⓒではなく、Ⓓのケース(のみ)を想定するのであろう。このとき、中央銀行は、ベースマネー需要に対して完全に受け身ですべて貸し応じる必要がある。つまりMMTは、「財政政策中心」なのではなく、そこには「金融政策が存在しない」のである。
しかし、現実はもちろん異なり、金融政策は実在する。これをどう説明するのか。現実の方が間違っているというのであろうか。
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