学歴は当事者と傍観者の間で意見が食い違う
世の人々の多くは反学歴主義者だ。
いや、冗談を言っているのではない。
意外に思う人もあるだろうが、世間の圧倒的多数は、学歴に対して批判的な意見を抱いている。学歴至上主義を標榜する人間がいるにしても、そんな連中はごくごく少数派だ。
とはいえ、それじゃあ現代日本の社会が学歴と無縁なところで動いているのかというとまるでそんなことはない。結局、
「意見としては反学歴主義者だが、態度としては学歴主義者」
といったあたりが、おそらく、平成の日本人の平均的なスタンスであり、
「オレ自身は学歴偏重の考え方には反対だけど、世の中の趨勢(すうせい)がこんな調子だからね」
みたいなことでこの国は動いている。
ということはつまり、多くの人々は、自らを学歴無用論者と規定しつつ、なおかつ、そういう考え方をする自分は少数派に属すると考えているわけだ。
ん? わかりにくいですか?
確かに、「自分を少数派と考える人間が多数派を占めている」という状況は、どうにもわかりにくいですね。なんだか「一匹狼の群れ」みたいで。しかしながら、ともかく、学歴というわかりにくい問題については、わかりにくいスタンスで対応するのが現実的な態度だということをどうやら人々は知っているのですよ。
実際に一般の人々の意見を当たってみると、行きすぎた受験戦争を歓迎する人間は皆無と言って良い。学齢期前の子供が塾に通って受験準備をするような世相を肯定している人もまずいない。
ということは、やはり国民の総意として、ほとんどすべての日本人が、受験戦争の激化に反対する気持ちを抱いているのである。
ところが、高度成長期からこっちの約30年、受験戦争が緩和された兆候はまったくないし、受験戦線の低年齢化は進む一方だ。
どういうことなのだろう。
どうしてこの国の潮流は国民のほぼ全員が反対している方向に向かって流れているのだろう?
答えは簡単。
当事者と傍観者の間で、意見が食い違っているからだ。