当事者はおそらくわれわれすべてである
学歴について原稿を書いていてあらためて気づいたことがいくつかある。
そのうちのひとつは、この問題に対してあんまり腹を立ててみても仕方がないということだ。まず、何より、腹を立てようにも、相手が誰なのかがわからない。
大卒者が悪いとか、そういう単純な問題ではない。いじめ問題ならいじめる方が悪いわけだし、自殺の問題なら自殺の背景を探れば答えが見つかるだろう。が、学歴は、加害者と被害者の間に解答が転がっているような単純な問題ではない。
加害者が教育機関で、被害者が学生だというのなら論の立てようもあるし、反対運動の方針も決まるだろうが、実際のところ、学歴については、加害者らしき人間が見当たらない。であるから、当事者について丹念に取材を進めていけば核心に近づけるといったタイプのお話でもない。だって、当事者はおそらくわれわれすべてであるわけだから。
といって「学歴主義者が元凶だ」というふうに決めつければそれで済む話でもない。実際、自ら学歴主義者であることを名乗って学歴擁護運動を展開している個人や団体があるわけでもないし、学歴が過剰に重視されているのが事実であることはその通りでも、それでは重視しているのが誰なのかというと、特定の誰かではない。
この場合も犯人は、われわれすべてであり、言ってみればこの国に住んでいる日本国民の全員が、ある意味で学歴主義者だということそのものが、学歴問題の実態であるからだ。
とすると、学歴については、怒ったり、告発したり、訴えたり、運動したりするよりも、忘れてしまうことが一番有効な手段だということになる。