「日本の農民の方が西洋の商人よりも十倍も紳士的です」 朝ドラ「ばけばけ」念願の神戸転居でハーンが絶望した理由

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神戸の旧居留地十五番館(写真:TK Kurikawa / PIXTA)
NHKの連続テレビ小説「ばけばけ」が、最終回まで残すところあと8回となり、注目が集まっている。明治時代の作家・小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)の妻・小泉セツをモデルにした物語である。ギリシャに生まれて、アイルランドで幼少時代を過ごしたラフカディオ・ハーンが日本に渡ったのは、40歳のとき。翌年に小泉セツと結婚し、46歳で日本国籍を取得。小泉八雲として第2の人生を送った。「耳なし芳一」などの『怪談』で知られる小泉八雲と、その妻の小泉セツは、どんな生涯を送ったのか。『大器晩成列伝 遅咲きの人生には共通点があった!』の著者で偉人研究家の真山知幸氏が解説する。
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西洋人の仲間が恋しくなり神戸へ

「私は自分の家に11人の小さな世界を持っています。この人たちにとって、私は愛であり、光であり、命の糧なのです」

1893年2月にラフカディオ・ハーンが親友のヘンドリックに宛てた手紙である。

「11人」というのは、熊本滞在時にハーンの家にいた所帯の人数だ。ハーンと妻のセツに加えてセツの家族、さらに料理人や女中を加えると、それだけの人数になっていたというから驚きだ。

ハーンは気難しい性格ながらも、大所帯のなかで気を遣っていたらしい。こう続けている。

「私が幸せそうな時はみな、とても幸せです。私が疲れた様子を見せようものなら、家族は物音一つたてず、爪先立って歩きます。これが私の道徳的な支えなのです。私は、できるかぎり不機嫌な様子を見せぬようにしています」

同年11月にハーンの一家は、さらに人数が増えることになる。息子の一雄が生まれたのだ(前回記事参照)。

ハーンの喜びは望外なものだったが、「子どもの戸籍をどうするのか」という問題に直面する。この頃はまだセツと、正式に入籍をしていなかった。日本で財産権を失いかねないといったリスクを考えると、妻子を英国籍にするよりも、自分が日本国籍を取得すべきだろう。

そう考え始めたハーンだったが、そうなると不思議なことに、これまで否定してきた西洋文化への思いが沸き上がってきた。

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