「日本の農民の方が西洋の商人よりも十倍も紳士的です」 朝ドラ「ばけばけ」念願の神戸転居でハーンが絶望した理由
西洋人の仲間が恋しくなり神戸へ
「私は自分の家に11人の小さな世界を持っています。この人たちにとって、私は愛であり、光であり、命の糧なのです」
1893年2月にラフカディオ・ハーンが親友のヘンドリックに宛てた手紙である。
「11人」というのは、熊本滞在時にハーンの家にいた所帯の人数だ。ハーンと妻のセツに加えてセツの家族、さらに料理人や女中を加えると、それだけの人数になっていたというから驚きだ。
ハーンは気難しい性格ながらも、大所帯のなかで気を遣っていたらしい。こう続けている。
「私が幸せそうな時はみな、とても幸せです。私が疲れた様子を見せようものなら、家族は物音一つたてず、爪先立って歩きます。これが私の道徳的な支えなのです。私は、できるかぎり不機嫌な様子を見せぬようにしています」
同年11月にハーンの一家は、さらに人数が増えることになる。息子の一雄が生まれたのだ(前回記事参照)。
ハーンの喜びは望外なものだったが、「子どもの戸籍をどうするのか」という問題に直面する。この頃はまだセツと、正式に入籍をしていなかった。日本で財産権を失いかねないといったリスクを考えると、妻子を英国籍にするよりも、自分が日本国籍を取得すべきだろう。
そう考え始めたハーンだったが、そうなると不思議なことに、これまで否定してきた西洋文化への思いが沸き上がってきた。





















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