「日本の農民の方が西洋の商人よりも十倍も紳士的です」 朝ドラ「ばけばけ」念願の神戸転居でハーンが絶望した理由

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無性に西洋人とかかわりたくなったハーン。一人で横浜と東京に3週間ほど滞在。神戸からは上海航路の定期船に乗り、西洋人ばかりの船客のなかで、思うところがあったようだ。

まもなくして、ハーンは熊本から転居することを決意する。セツと長男の一雄やその養父母、親戚、使用人など総勢8人を連れて、寄港地の神戸へと転居することになった。

物書きにとって理想的な労働環境を手に入れる

神戸でのハーンの職場は、英字新聞『神戸クロニクル』社だった。ハーンは、1894年10月から新天地で、記者としての仕事をスタートさせている。

契約期間はとりあえず半年で、棒給は熊本の頃の半分に減ったというから、決して恵まれた条件ではなかった。それでも転職に踏み切ったのだから、よほど熊本を出たかったのか、あるいは、神戸に生活の場を移したかったのか。おそらくその両方だろう。

だが、実際に働いてみたところ、ハーンにとって、新しい職場は、条件面以上のメリットがあったようだ。

仕事の内容は、居留地に住む外国人に向けて、短い論説記事を1日1本書くというもの。ハーンはそれを1時間ほどで仕上げると、あとは自分の創作にあてることができたという。

授業を担当しなければならない教師生活と比べれば、執筆時間は十分に確保できる。物書きにとっては、理想的な職場だった。加えて、スコットランド人の編集長ロバート・ヤングはハーンの能力を買ってくれたうえに、家庭状況まで理解してくれたという。

住居については、港から少し坂道をあがったところの家に住むことになった。2階が洋風で1階が和風という造りで、冬も暖かいので、寒がりのハーンも安心だ。セツも神戸の町をとても気に入っていたという。

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