朝ドラ「ばけばけ」小泉八雲は凶悪殺人事件を追う記者だった。一時は路上生活も、抜け出した先で転機

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ペンと原稿
ハーンは日刊新聞『インクワイヤラー』紙の編集室を訪れて「自分の原稿を買ってくれませんか」と持ちかけた(写真:TOKO / PIXTA)
NHKの連続テレビ小説「ばけばけ」が注目を集めている。明治時代の作家・小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)の妻・小泉セツをモデルにした物語である。ギリシャに生まれて、アイルランドで幼少時代を過ごしたラフカディオ・ハーンが日本に渡ったのは、40歳のとき。翌年に小泉セツと結婚し、46歳で日本国籍を取得。小泉八雲として第2の人生を送った。「耳なし芳一」などの『怪談』で知られる小泉八雲と、その妻の小泉セツは、どんな生涯を送ったのか。『大器晩成列伝 遅咲きの人生には共通点があった!』の著者で偉人研究家の真山知幸氏が解説する。
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渡米するも職を転々する不安定な日々

4歳で母と離別し、やがて両親が離婚。父方の大叔母ブレナン夫人のもとで何不自由ない生活を送るも、愛情が注がれたとは言い難かったラフカディオ・ハーン。

13歳からは全寮制の学校に入学して充実した学生生活を送るが、16歳のときに事故で左目を失明してしまう。さらに不幸は重なり、ブレナン夫人が投機に失敗して破産したことで、学校も中退せざるを得なくなってしまった。

苦境のなかで、ハーンはアメリカの地に希望を見出そうとする。19歳のときに単身で渡米。当時、人口の半数が移民者で占められていたオハイオ州のシンシナティで、新生活を送ることになった。

遠縁の親戚がいたため、数カ月はそこを頼ったものの、間もなくして放り出されてしまった。なんとか生活費を稼ぐために、宿屋の給仕や電報配達、また事務所の会計係など、様々な職に就くも、いずれも長続きしなかったようだ。電報配達の仕事を辞めたのは、疎外感からだったらしい。後年、妹への手紙でこう振り返っている。

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