誰が当事者で誰が傍観者だという話ではない。犯人探しをしているのでもない。
だって犯人ということなら全員が犯人だし、誰が被害者なのかといえば、全員が被害者なんだから。
ん?
ますますわかりにくいですか?
つまりですね、学歴および受験の問題に関しては、同じ一人の人間が、当事者として行動する時と、傍観者として発言する時で、意見を変えているのです。だからこそ、一方では学歴偏重の世相を嘆いている人間が、他方では幼児教育に狂奔(きょうほん)しているみたいなことがごく普通に見られるわけなのですよ。
なるほど。
とすると、人々は、観光地の混雑を嘆く観光客みたいなもので、自分が混雑の元凶であるという自覚を欠いているのだろうか。
いや、そんな無邪気な話ではない。
集団的な自己欺瞞
むしろ、欺瞞(ぎまん)です。念の入った、集団的な自己欺瞞です。
しかも、学歴に関する人々の言行不一致は、単純な欺瞞であるのみならず、様々な防衛機制を含んでいて、時に奇妙な形の理論武装を伴って外に現れる。
「私がケンイチを慶應に入れようとするのは、学歴が欲しいからじゃないわ。親だったら誰でも子供のために最良の教育環境を提供してあげたいと思うものでしょ。で、その最良の教育環境が、私の考えでは慶應ということになるわけ。これは趣味の問題よ」
「オレは学歴主義者なんかじゃないよ。まあ、早稲田主義者だって言えばそう言えるかもしれないけど。でも、オレは単に早稲田の校風に惚れているわけで、エリート主義で早稲田に憧れてるわけじゃないぜ」
「お母さんは、偏差値なんかを問題にしているんじゃないのよ。ただ、人間はベストを尽くすべきだっていうごく当たり前のことを言っているだけ。わかる? あなたは中学生なんだから、ベストを尽くすべき対象は勉強でしょ? お母さんの言っていること、おかしいかしら? ねえ、どう思う? お母さん間違ってるかしら?」
「"お受験"に夢中になって子供の尻を叩いてるみたいに言われるのって、心外だわ。だって、私がマコトを青学に入れたのは、受験戦争みたいなことからマコトを守ってあげたいからなのよ。私は青学の校風が好きだし、大学受験で子供の尻を叩きたくないからこそ、小学校からエスカレーターで上がれる学校でのびのびと過ごしてほしいと思ったんだもの」
ああうるさい。