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価格は「神の見えざる手」ならぬ「悪魔の誘惑の手」…王様となった消費者が搾取される資本主義の黄昏【連載第4回】

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同じ財市場のなかでの競争は序の口(写真:sarymsakov / PIXTA)

価格による搾取は、20世紀後半以降、顕著となった。

それには2つの理由がある。

第1には、20世紀初頭、規模の経済は極限まで達し、食料、繊維、資源は自給自足的な生産と大規模独占に二極化したこと。

第2には、19世紀後半から、必需品ではなく、ぜいたく品、暇つぶし品、エンターテインメント品の消費ウェイトが増えていったことである。

まず、独占が究極まで進み、もはや規模の経済、分業の進展による生産性の上昇は見込まれなくなった。さらに、第2次産業革命により、電気、化学などの工業利用が進み、飛躍的な技術の発展による生産性の革命的な上昇もいったん落ち着いた。

こうなると、必需品の生産性向上による経済的富の将来的な増加の余地は限られることになった。生産者は利益を増大するためには、とにかく規模を追求し、その財の市場を独占することが目標になった。

独占すれば好きな価格がつけられるからである。

消費者に有り金を全部吐き出させる

多くが必需品だったから、価格は無限に高くできる。無限とは、消費者が(資源などの場合は生産要素として需要する生産者が)出せる限界であり、それは限界効用の最大値、つまり、欲しいという欲望の最大値ではなく、支払える限界まで払うということだ。

その場合は、消費者の欲望は無限であり、予算制約が効くことになり、価格は予算制約によって決まる、ということである。有り金を全部吐き出させる、ということだ。

となれば、生産サイドはどうなるか? 

この独占者のポジションをすべての生産者が狙うことになる。そして、技術革新はほぼ終了しているから、苛烈な競争となる。

規模の経済が効くから(つまり、生産量が多くなればなるほど、限界費用も平均費用も下がる、要はコストが下がる)、とにかく独占的地位を占めるまでは、需要を取るためには何でもやる。

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