「ドミニカやベネズエラの選手がアメリカを目指すのは、いい仕事といい生活があるからだ。チームから解雇されてもそのまま不法滞在を続け、警察に見つかって強制送還される者も少なくない。そういった意味で、キュラソー人は恵まれている。島に帰れば寝る場所があれば、食べ物もある。ここにはいいライフスタイルがあるんだ。一方、ドミニカ人がそういう選択をしたら、生活していけなくなる」
メジャーで成功できなかったキュラソー人選手には、島に戻って野球を続けるという選択肢もある。ただし、アマチュアとしての話だ。
キュラソーの野球リーグで最上位に位置するのがAAで、6チームで構成されている。現在、このリーグでプレーする一人がラムジー・クヤーズだ。17歳のときにモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)と契約し、99年には3Aまで登り詰めたものの、メジャー昇格にはあと一歩届かなかった。現在はタクシー運転手として働きながら、野球を楽しんでいる。
イセニアはアカデミーを設立
一方、一念発起して新たな事業を始めた者もいる。2004年アテネ五輪にバレンティンとともにオランダ代表として出場したチャイロン・イセニアだ。
イセニアはピッチャーやサードを守り、17歳のときにタンパベイ・レイズにスカウトされた。強肩を買われてキャッチャーに転向し、2Aまで昇格する。06年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック予選で死球を受け、これが引き金となって引退に追いやられた。
キュラソーに帰ったイセニアは、翌年、キュラソー・ベースボール・シティ・ファンデーションというアカデミーを設立した。メジャーリーグの協力を得て、少年選手の育成、コーチへの指導、アメリカのカレッジ(大学)に進学する援助などを行っている。現在までに25選手が奨学金を得てアメリカのカレッジに進み、4選手がメジャーにドラフトで指名された。
その一人が、ブレーブスのシモンズだ。10代のときにメジャーの誘いを断り、カレッジに進学。10年ドラフト2巡目でブレーブスに指名され、昨年ゴールドグラブ賞を獲得した。シーズンオフには、7年総額5800万ドルの契約を結んでいる。シモンズの活躍により、少年たちは勉強の大事さを再認識し、カレッジ経由のプロ入りを目指す者が増えているという。
イセニアが言う。「シモンズは我々のアカデミーにとって理想像であり、完璧な模範だ。『人生は1度しかないから、チャンスを活かさなければならない』と教えてくれている。勉強は野球と同じくらい大切なことだ」
キュラソーの野球少年にとって、勉強によって得られる一つが将来の選択肢だ。野球とは違う分野で努力することで、人生のチャンスが広がっていく。
本職は会計士で、少年リーグの「リガ・パリバ」で会長を務めるデニス・ダンブルックがこんな話をしていた。
「この島でお金持ちになるには、野球が一番の方法だ。メジャーとの契約を勝ち取るか、あるいは奨学金をもらってアメリカのカレッジに行くこともできる。そうやって少年は自分の可能性を高めていく。シモンズは奨学金をもらってアメリカに渡り、その後にプロ契約を勝ち取った。現在はいろんな選択肢が増え、この島の子どもたちはプロになれる可能性がどんどん大きくなっている」
教育はチャンスを広げるだけではない。幼少の頃から学校で集団生活をしながら、規律を植え付けられていく。それこそがキュラソーの人々にとって、ドミニカやベネズエラとは異なる強みになっている。
キュラソーの少年野球には、ほかにも独特のシステムがある。彼らは人口の少なさと国力の低さを自覚しているからこそ、様々な工夫を施しているのだ。
当地で少年野球の現場を歩いていると、競技人口減少に直面する日本球界にとってヒントがたくさん落ちていた。詳しくは、次回の連載で述べたい。=敬称略=
(写真:龍フェルケル)
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