「甲子園での肩の酷使」は禁止しよう キュラソー式野球は、「楽しんで上達する」

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キュラソー初のメジャーリーガー、ヘンスリー・ミューレンスの設立したダッチ・アンティル・アカデミーで練習する子どもたち

夏の風物詩である高校野球のあり方が、大きく見直されようとしている。1915年に全国中等学校優勝野球大会として第1回が開催されて以来、今年で100年のときを迎えた。誕生から1世紀もの時間が経ち、グローバルな野球シーンの観点から見ると、甲子園がガラパゴス化している印象は否めない。タイブレーク制の導入が議論されているが、是非はさておき、当然の流れと言えるだろう。

甲子園での肩の酷使は大問題

熱中症で倒れる観客も出るような環境で、高校生たちをプレーさせるのは明らかに時代の流れに逆行している。肩の酷使により、選手生命を棒に振ってしまう投手も少なくない。ニューヨーク・ヤンキーズの田中将大投手のケガの具合が心配だ。

なぜ高校野球だけが、旧態依然であり続けているのだろうか。その裏にあるのは、勝利至上主義と主催者であるメディアによる「高校野球の神格化」だ。

以前、筆者はある元プロ野球選手と、「高校野球に球数制限を導入すべき」という話になったことがある。その元選手が高校野球関係者に球数制限を進言すると、「すべての高校球児がプロ野球選手を目指しているわけではありません」と言われたという。このセリフは、甲子園を神格化する者たちにとって常套句となっている。

確かに、プロを目指す高校生はごく一部だ。「甲子園を目指して努力してきたのだから、悔いを残さないようにプレーさせてあげるべきだ」という論理はわからなくもない。しかし、仮に高校時代の酷使で肩を壊したら、将来の可能性を潰すことになる。指導者にとって最大の役割は、選手のチャンスを最大限に広げてあげることではないだろうか。

改めてそう感じたのは、今春、オランダ領キュラソーの少年野球を取材したからだ。前回に引き続きキュラソー島のリポートをお届けする。

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