7歳未満の子どもたちがプレーするのは、「ピーナッツボール」と言われる遊びだ。日本ではTボール(ティーボール)として知られ、「投手のいない野球」と言われている。ピッチャーが投げる代わりに台に置いたボールを打つため、難易度が極端に下がり、打撃の楽しみを体感できる。前述のシモンは、「Tボールでは打つまでに考える時間があるから、どっちの方向に打てばいいのか自分で考え、学んでいくことができる」と話していた
。日本のアマチュア野球界を束ねる全日本野球協会の鈴木義信副会長は、未就学時の野球人口が極端に少なくなっていることの打開策としてTボールの普及を挙げていたが、すぐに取り入れてほしいと思う(詳しくは連載「野球イノベーション」第4回参照)。
筆者はキュラソーで9日間をすごしたが、ダンブルック会長のひと言がとりわけ印象に残った。キュラソーが優秀な選手を数多く生み出している理由をたずねると、「野球はカネのかからないスポーツだから」と答えたのだ。
昨今、少年野球における競技人口減少が顕著な日本では、「野球はカネのかかるスポーツだから」と敬遠される傾向にある。グローブ、バット、ボールなど道具を準備しなければならず、ユニフォームをそろえる必要もある。キャッチボール禁止とされる公園も少なからずあり、プレーする場所を探すのも面倒だ。
そんな日本の固定観念に捉われていたから、ダンブルック会長の言葉に驚かされた。
「子どもたちは野球ボールの代わりにテニスボールを使って、家の庭でプレーすることもできる。そうやって小さい頃から遊んでいるから、フィールドに来る年齢になったときには野球のやり方をすでにわかっているんだ。キュラソーの野球はエレベーターゲームで、どんどん成長していくシステムがある。アンドリュー・ジョーンズ(現楽天)はこの島で初めて、子どもの頃からプレーしてメジャーリーグ選手になった選手だ。彼が活躍するにつれて、野球人気が高まっていった。そうして多くの子どもたちが、野球に夢を抱くようになった。いつか、プロ野球選手になろうってね」
アンドリュー・ジョーンズの功績
キュラソーでは1990年代初頭、野球よりサッカーのほうが人気だった。その傾向をジョーンズが一変させる。19歳のときにアトランタ・ブレーブスでメジャーデビューを飾った1996年、ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズ第1戦に先発出場すると、1打席目から2打席連続本塁打を放ったのだ。メジャーの“偉人”として崇められるミッキー・マントルの最年少記録を更新し、小さな島国の人々は熱狂した。そうして白球を追いかける少年が激増していった。
野球がカネのかかるスポーツか、否かは、同じ物事を表から見るのか、裏から見るのかのような話だ。日本とキュラソーの環境は大きく異なるが、発想もまるで違う。そう感じさせられたのは、かつてロッテやヤクルトでプレーしたヘンスリー・ミューレンスの兄、ランドル・ミューレンスと話したときのことだ。
ランドルは通信会社でセールス・マーケティングを担当する傍ら、キュラソー最初のメジャーリーガーとなった弟が設立したダッチ・アンティル・アカデミーで、ボランティアとして10年以上、少年たちに野球を教えている。このアカデミーでは技術指導だけでなく、野球の座学、メンタルトレーニングも行われる。ランドルによると、「少年たちがより良い人間になるため」だ。
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