娘が「宗教」の授業で教えられたこと
どこの国の教育でも、小学校1、2年生で、子供たちは自分たちが生きている世界について学ぶ。家族や友達、学校や社会について、基礎的なことを学ぶ。おそらく、この時期に子供たちの基本的な世界観が出来上がると思う。
娘が通ったセントジョセフは、明治期にカトリックのマリア会によって創設されたインターだから、1年生から「リリジョン」(宗教)の時間があった。
ここに紹介するのは、娘が1年生のときに「リリジョン」の時間でやったドリルだ。ページのタイトルが「God Is With Me When I Learn」となっている。「神様は勉強するときに私と一緒にいます」という意味だ。これでわかるように、子供たちはつねに神と一緒にこの世界にいることになっている。
自然を「神がつくったもの」と答える世界観は、ここで出来上がると言っていい。そして、これが英語世界の基本的な世界観であり、実は、欧米の学問体系も、この世界観に基づいてつくられている。
欧米の学問体系は、大きく2つに分かれている。ここまでのことですでにおわかりと思うが、ひとつがアートで、もうひとつがサイエンスだ。アートとは「人間がつくったもの」だから、これを学び、研究するのがアートの勉強であり、大学や大学院でのアートの学位となる。科目でいうと、文学、歴史、哲学、美術、建築、音楽などだ。これらの学科は、一般的に「humanities」(ヒューマニティーズ)と言われている。
そしてもうひとつのサイエンスは「神がつくったもの」、つまり、この世の中にある人間以外がつくったものすべてを学び、研究することだ。したがって、日本語の「科学」「理科」という訳語は意味が狭すぎると言っていい。
むしろ、広く「学問」ととらえたほうがわかりやすいだろう。
サイエンスの目的とは何か
このように見てくると、なぜ、経済学や心理学が文系ではなく、理系なのかということがわかると思う。
文学部心理学科に関して言えば、そもそも文学はアートであってサイエンスではないから、心理学のように神がつくった人間の心理のメカニズムを研究する学問が、アートの学部にあってはおかしいということになる。
サイエンスについてさらに言うと、その目的は、神がつくった世界(=自然界)を貫く法則を見つけ出すことである。
そして、サイエンスは、2つに大きく分かれている。ひとつが「ナチュラル・サイエンス、natural science」(自然科学)で、もうひとつが「ソーシャル・サイエンス、social science」(社会科学)である。ソーシャル・サイエンスでは、対象が自然界でなく、自然界の一部である人間社会が対象になる。したがって、心理学は社会科学ということになる。
同じく、経済学も社会科学である。経営学も、政治学も同じく社会科学だ。しかし、日本ではこれらが、なぜか文学や歴史などと同じようにとらえられ、「文系」となってしまうのである。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら