「面白くない大人になる」という恐怖心
灘高の同学年の皆が東大、京大、医学部を目指している中、学年で1人、ハーバードとイェールを受験することにしたのは、どうにかして日本から出たい、というモヤモヤ感がきっかけだった。
先生や友達には、いや、俺はアメリカに行って建築と演劇を勉強しながら、メディカルスクールを目指したいんだ、などとハッタリをかましていたものの(いや、それはそれで当時は真剣にそう思っていたのかもしれない)、本当は自分が何を勉強したいかなんてまったく見当もついていなく、ただ、 日本から出たい、いや、出ないと、自分もレールが敷かれた将来をただそのとおりに進んでいって、頭でっかちの何も面白くない大人になってしまう、という恐怖心があったのだと思う。
日本の大学生、そして社会人に会うたびに、僕は、年を取りたくない、と思わされる。大学生になって、こんなに人間として面白くなくなってしまうのならば、大学生になりたくない。社会人になって、こんなに夢のない人間になってしまうのであれば、社会人になんてなりたくない。高校生の僕はそう思っていた。
当時の自分は、アメリカや世界のことなんてほとんどわからなかったけれど、きっとハーバードやイェールには、自分を早く大学生になりたいと思わせてくれる面白い大学生、そして世界には、自分を早く社会人になりたいと思わせてくれるような夢のある大人たちがたくさんいるんじゃないか、と何の根拠もなく信じていた。
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