現在、日本の大学は、東大をはじめとしてグローバル化に必死に適応しようとしている。9月入学の実施、推薦入学制度の導入、英語による授業の拡大……などが、今後、確実に実施されようとしている。最近では、TOEFLが入試に採用されるという話も持ち上がっている。
しかし、これらの改革をいくら進めても、真のグローバル化は達成できないだろう。なぜなら、日本の大学で現在行われている教育そのものが、根本的に欧米の学問体系からズレているからだ。
心理学科が文学部にあるのは異常
たとえば日本では、大学に入るとき、大学そのものではなく、志望大学の学部ごとに入学試験を受けなければならない。また、その学部には、大ざっぱに「文系」「理系」の区別があり、心理学や経済学は一般的に「文系」と言われている。
ところが、アメリカの大学は、大学そのものに出願して入学し、日本の学部にあたる専攻(メジャー)を決めるのは2年時(ソフォモア)を終えてからだ。また、心理学や経済学は、日本と違って理系に分類されている。
日本の大学には、たとえば文学部心理学科というものがある。しかし、欧米の学問体系からいくと、心理学科が文学部にあること自体が異常である。
さらに、日本では最終的に出身学部はあまり問われない。社会に出てから着いて回るのは、どこの大学を出たかという「大学名」である。ところが、アメリカでは、大学名より、どんな専攻をしたかのほうが重要で、続いて、その学位(degree)が「博士」(PhD)、「修士」(Master)、「学士」(Bachelor)のどれなのか、そして、その学位をどこで取得したか(Where did you get it? :つまり大学名、教育機関名)が問われる。
いったいなぜ、これほど日米で大学教育のとらえ方が違うのだろうか?
日本の高等教育は、明治期に始まっている。日本の名門大学の多くが明治期に設立されている。このとき、欧米の教育システムを日本に移植する際に、数々の誤解、勘違いが生じたためだと思うが、私は詳しくは知らない。
ただ、ここで重要なのは、欧米との違いをこのまま放置しておくと、本当のグローバル化などできないということだ。
そして、リベラルアーツが何かも、なぜリベラツアーツ教育が重要なのかも、理解できなくなくなるだろう。
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