日本と欧米の学問体系が違う点はまだある。「医学(Medicine)」と「数学(Mathematics)」の位置づけだ。
サイエンスには、前述した二大分類のほかに、「アプライド・サイエンス、applied science」(応用科学)と、「フォーマル・サイエンス、formal sciences」(形式科学)がある。前者のアプライド・サイエンスの代表が医学である。ところが、日本では医学を自然科学と見なすことが多い。
また、一般的にエンジニアリングと言われる「工学」「工業技術」もアプライド・サイエンスである。
そして「数学」だが、これもなぜか日本では自然科学としてしまう。しかし、数学自体は自然界には存在しない。人間がつくったものである。だから、サイエンスとは見なせない。そこで、学問をするためのツールという位置づけとなり、フォーマル・サイエンスに分類をされるのだ。
学問をするためのツールとう位置づけでは、現代の「コンピュータ・サイエンス」(Computer science)もまた、フォーマル・サイエンスである。しかし、日本ではこれがアプライ・ドサイエンス(応用科学)の工学部に組み入れられ、そこの学科になっていたりする。工学部の中にコンピュータ・サイエンスがあるのは、欧米人にとっては理解できないだろう。
リベラルアーツとは、「基礎学問」
このように見てきて、ここで、やっとリベラルアーツについて説明するのが可能になる。
リベラルアーツとは、ひと言で言えば、西洋世界の学術・学問の基礎である。欧米の高等教育では、このリベラルアーツがすべてのアート(ヒューマニティーズ)とサイエンスの「入り口」と考えられており、これらの科目を履修した後にメジャー(専攻)を決めるシステムになっている。
ところが、日本では大学入学以前に志望学部(専攻)を決めて、入学試験を受けるかたちになっている。これでは、あべこべだ。
また、リベラルアーツを日本では「教養学」と訳す例が多い。また一部の大学では「一般教養」として学部名になっているところもある。しかし、「教養」とう日本語の一般的な意味は、「社会生活を営むうえで必要な学術、文化、歴史、芸術などに関する広い知識」というようなことだろう。たとえば、あの人は「教養がある」と言ったときは、このような意味になると思う。
とすると、リベラルアーツをより正確に日本語にすれば、「教養学」より、「基礎学問」のほうが最適ではなかろうか?
というわけで、グローバル教育は、英語で授業をしたり、9月入学を実施したりと、かたちだけを整えても達成できないことが、わかってもらえたと思う。
もし、今後、日本の大学が本当にグローバル化したいなら、学問体系を欧米式に整え直すこと、本格的なリベラルアーツ教育を導入すること、そのうえで徹底して世界から留学生を集めることが必要だろう。もちろん、日本の大学教育のいいとろは徹底して残すことも大事だ。
このようにして、学内にインターナショナルコミュニティをつくれば、自然にグローバル人材は育つはずだ。今後の日本を切り開いてくれる“真の日本人”も育つだろう。
※ 続きは4月24日(水)に掲載します
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