日本の「大学卒」の価値は暴落する 日本とインターナショナルスクールの教育はここが違う

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日本人はどうやって日本人になるのだろうか? そんな誰もが意識したことがないことを、グローバル化という視点でとらえていくとどうなるだろうか? 21世紀のグローバル化が私たちに突きつけている問題は、国際標準語(英語)を話す国際人になることではない。日本人という確固たるアイデンティティを持って、世界を舞台に活躍できる人材になることだ。
しかし残念ながら、日本で日本人の両親から生まれ、日本の教育を受けて育つと、真の日本人にならない。一人娘をアメリカと中国の教育で育てたジャーナリストが、その経験を基に、日本人とは何かを問いかける。
ノルディックスキー・ジャンプ女子の世界チャンピオン高梨沙羅選手。彼女は、グレース・マウンテン・インターナショナルスクール(北海道・旭川)に通っている(写真:アフロ)

ここまで2回、インターナショナルスクール(以下インターと略)の話を書いて、日本の教育について論考した。考えることを必要としない「詰め込み教育」、いい大学に行くためだけの「お受験中心教育」では、「真の日本人」は育たない。「真の日本人」を育てるには、英語教育、異文化教育、多文化教育がいかに大切かということを提起してきた。

しかし、読者の方々から寄せられたメッセージや感想を見ると、なぜか「日本人にとって英語は必要か?必要でないか?」という点に、議論は矮小化されている。私はそんなことを論じているわけではない。

英語に関して言えば、英語が世界標準語になった時点でこの議論は終わっている。世界標準語を学ばないか学ばなくていいかなど、議論する必要がどこにあるのだろうか?

必要なのは、世界標準語教育(=英語教育)をどのようにやるかだけだ。同じように、異文化教育、多文化教育も世界がグローバル化した以上必要で、それをどのようにやるかが問題だ。

これは日本ばかりの問題ではない。世界中の国で求められている問題だ。ただ、英語が母国語の国は、英語教育というのは「国語教育」だから、それほど悩むことはないというだけの話にすぎない。つまり、英語圏以外の国では、今後、英語教育と異文化、多文化教育を進めていかなければならない。簡単にいうと、学校をインターナショナルスクール化していかないと、次世代の自国民を育てられないということだ。

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