MITで失った自信、得た自信 レンガを積むが如く

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一方で、僕は東大の大学院にも合格していた。間違いなくこちらのほうがリスクの少ない選択肢だった。周囲の多くの人も日本に残ることを僕に勧めた。しかし僕はせっかく手にしたMITの合格通知を破り捨てるのが惜しくてならなかった。僕は迷った。

合格通知を受け取った翌月の3月、MITのopen house(新入生向け説明会)に参加するため、僕は雪が深々と残るボストンへ飛んだ。決心をする前に自分の目でMITを見ておきたかったのだ。その機会に、MITにすでに留学していた高校時代の友人と会った。久しぶりだな、アメリカで余計に太ったんじゃないか、そんな会話の後、彼に状況を説明し、安全を取って日本に残るべきか、リスクを取って留学に挑戦するべきか、相談した。すると彼は一言、不遜にこう言った。

「自信があるなら、来てみれば」

その挑戦的な言葉に、僕の反骨心はナイーブに反応した。口では「そうだね、考えてみるよ」などと平穏な返事をしたが、心は(ナンダ、コノヤロー)と叫んでいた。

事実、当時の僕には自信があった。高校でも大学でも成績は上位だったし、英語だって少なくとも周りの日本人たちには負ける気がしなかった。交友関係にも苦労せず、大学のイベントやサークルでは何かとリーダー役を買って出ていた。アメリカでも同じようにやれるという自信があった。

僕はMITへ行くことを決心した。親が学費を払ってくれる1年間が、RAを見つけてMITに残るためのタイムリミットだった。

札幌とほぼ同じ緯度にあるボストンでは秋の訪れが早い。

8月の終わり、僕は再びボストンにやってきた。空港に着いたのは夜11時過ぎで、熱帯夜が続く東京と比べると随分と肌寒かった。両手に持った2つの大きなスーツケースには生活用品がぎっしりと詰め込まれていて、僕の胸は自信でぱんぱんに膨らんでいた。タクシーに乗り込み、行き先を問われ、「MIT」と答えるのが誇らしかった。

しかし、その日から半年の間に僕が経験したのは、風船から空気が抜けるように、自信がみるみる消え去っていく過程だった。

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