公正取引委員会の茶谷栄治委員長は、大蔵省(現財務省)主計局の若手だった頃、1本の法律を作成した。「財政構造改革の推進に関する特別措置法の停止に関する法律」。名称は長いが、条文はわずか1行。
「財政構造改革の推進に関する特別措置法は、別に法律で定める日までの間、その施行を停止する」
予算の縮減を定めたいわゆる「財革法」を凍結しようという内容だ。茶谷氏はこう振り返る。
「当時の小渕恵三首相が財革法の凍結を訴えていた。廃止ではなく全部の執行を止めるという法律はあまり例がなく、陪審法の執行を太平洋戦争中に止めた例などを参考にした」
政治主導だった財革法
財革法は、法律で歳出を縛ろうという野心的な試みだった。1997年に主計局長から事務次官に昇格した小村武氏は、省内の聞き取りでこう回顧している。
「平成9年(97年)1月、与謝野(馨・官房副長官)さんのアイデアで財政構造改革会議を立ち上げました。(中略)この流れの中で財政構造改革法を作れという意見がでてきました。(中略)事務当局としては、法律事項があるのか、果たして法律になじむかというところがクリアされていませんでしたので、態度を曖昧にいたしておりました。最後は三塚(博・大蔵)大臣の強いご指示で法案作成に踏みきりました」
「私は常に政治主導と叫んでおりました。大蔵省主導という印象を与えると反発が強く、うまくいかない。そもそも財政構造改革は政治家の仕事で、われわれはそれを下から支えるのだということを強調しました」(『平成7年5月から同9年7月までの主計局長当時の諸問題』)
財革法を作るとき、政治家たちは積極的だった。首相経験者たちの発言が残っている。
「財政再建には光と影があるが、これを断行する内閣の強い意志が必要」(中曽根康弘氏)、「強力なマイナスシーリングをやったうえでどうするか」(竹下登氏)、「財政再建の問題は先送りしないことが大事」(村山富市氏)。そしてケインジアンと呼ばれた宮沢喜一氏もこう話していた。
「次の世紀に誰かに考えてもらうのではなく、われわれが責任を負うべき問題だ」(97年1月21日、財政構造改革会議議事録)



















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