MITで失った自信、得た自信

レンガを積むが如く

いとも簡単に失われた自信

最初の壁は授業だった。最初の学期に取った四つの授業のうちひとつは、チームに分かれて人工衛星を設計するというプロジェクトベースのものだった。毎週の課題はすべてチーム作業で、4人のメンバーが集まってディスカッションをし、それを基にリポートを書く。

こんなとき、日本では僕はいつもチームをリードする立場にいた。しかしMITではそうはいかなかった。アメリカの学生たちは本当によくしゃべり、よく主張する。そこへ僕がつたない英語で意見を述べても、なかなか他のメンバーは真剣に聞いてくれない。彼らは僕のたどたどしい英語にしびれを切らし、僕がしゃべり終わっていないのに割って入って、ほかのことを議論し出すこともしばしばだった。

彼らの主張に誤りを見つけ、違う、それはこうなんだと一生懸命に説明しても、理解されずに白けた目で見返されて終わることもあった。そうかといって黙っていれば、僕がそこにいないかのように議論が進んで行き、意見を求められることもほとんどなかった。リーダーシップを取るどころか、メンバーから信用すらされない。僕の自尊心は深く傷ついた。

交友関係でも苦労した。特につらかったのが飲み会だ。授業とは違って崩れた英語が話されるうえに、周囲が騒がしいこともあって、なかなか会話を聞き取れない。誰かが楽しげにジョークを言い、周りの皆が腹を抱えて笑う中、僕一人それを理解できずにいた。オチを聞き返して白けた目で見返されるのが怖く、かといって一人だけムスッとしていると余計に仲間に入れないから、わかったフリをして作り笑いをした。そんなことを繰り返す自分が嫌でたまらなかった。

気が滅入ると余計に口から言葉が出なくなり、眼前を縦横に飛び交う会話に入ることができず、ただ黙って座っている時間はとても長く感じた。手持ちぶさたなせいでビールの減りが早く、楽しくもないのに酔いだけが回った。

そんな飲み会のあと、寮の自室に帰って、僕はとても惨めな気持ちだった。やがて飲み会の誘いにも気が進まなくなり、忙しいからなどと適当な理由をつけて逃げることもしばしばだった。

現地調達するつもりでいたRAもなかなか見つからなかった。アポ取りのメールに返事すらくれない先生もいた。たとえ会ってくれても「空いているRAのポジションはない」と追い返されるのが常だった。そのたびに、本当にないから「ない」と言っているのか、それとも追い払うための口実なのかと疑心暗鬼になる自分がいた。そうこうしているうちに雪が降る季節になり、1年のタイムリミットも気になりだした。

胸にぱんぱんに詰め込んできた自信は、こうしていとも簡単に失われた。

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カーリング人気萌芽の時代から、平昌五輪での銅メダル獲得まで戦い抜いてきた著者。リーダーとして代表チームを率いつつ、人生の一部としてカーリングを楽しめるにまで至った軌跡や、ママさんカーラーとして子育てで得た学びなどを語る。