「この店はね、50年前に与野ハウスがオープンした当初からやっています。それまでは東京の浅草で花屋をやっていたんだけど、私の実家がこの近くなんですよ。だから思い切ってこっちに越してきたんです。その頃は北与野駅もなくて、まわりは田んぼや畑だらけだった。女房は浅草育ちの江戸っ子だから、“カエルの声が聞こえる。とんでもなく寂しいところに来てしまった”って嘆いていましたよ(笑)」(黒田さん)
黒田さんはその頃を思い出すように、視線をめぐらせて続けた。
「オープン当初は周りになにもないからさ、夜になると大宮駅の構内放送が聞こえたんですよ。北与野駅ができるまで、最寄りは与野駅だったけど、小さな駅だからさ、構内放送の音量も小さかったのかな。大宮駅はここから2キロメートルくらいあって与野駅より少し遠いんだけど、あっちは大きな駅だから、構内放送が聞こえたんですよ。そのくらい静かだったってことだね」
今年73歳になる黒田さんもその頃は20代の前半だ。同い年の奥さんは夜になると浅草の喧騒を思い出して落ち込むこともあったらしい。
「どうしようもないときは車を走らせて浅草まで連れていきましたよ。そうでもしないと、泣き出したりしてさぁ。朝方になって車で戻ってきてそのまま店を開く、そんな生活でしたね」(黒田さん)

「一応タワマンの成功例なんじゃないかな」
それでも、街は年々発展している。
「私たち夫婦は与野ハウスには住んでいないのだけど、住民の方に聞くと、北与野駅ができてからはぐっと変わったっていいます。窓から線路方向を見下ろして、大宮方面からくる電車が見えてから部屋を出れば乗り遅れることはない。さいたま新都心も近いし、すっかり便利になりましたね」(黒田さん)
築約50年の与野ハウスだが、これまで何度か大規模修繕を行い、建物は現在も安心して使えているという。
「今でもわりと人気の物件らしくて、空き家が増えているっていう話もあんまり聞かないね。今後はどうなるかわからないけど、まぁ一応タワマンの成功例なんじゃないかな」(黒田さん)

無料会員登録はこちら
ログインはこちら