
9月12日、アメリカの駐台湾実務窓口機関である米国在台協会(AIT)の匿名スポークス・パーソンが、台湾の中央通信社のインタビューに答え、「台湾の地位未定論」を表明したことが注目され、論争を呼んでいる。
このインタビューは、ソロモン諸島で開催された太平洋諸島フォーラムに中国が参加する一方で、台湾が排除されたことを話題としていた。そのなかで、このスポークス・パーソンは「中国は『カイロ宣言』『ポツダム宣言』『サンフランシスコ平和条約』を含む第2次世界大戦期の文書を故意に歪曲し、台湾に対する威圧的行動を正当化しようとしている」と指摘し、「これらの文書はいずれも台湾の最終的な政治的地位を決定するものではない」と述べた。
台湾メディアは、少なくとも1979年の米華(米台)断交後初めて、アメリカ政府が「台湾の地位未定論」を表明したとして、これを大きく報道した。メディアはアメリカ国務省やアメリカの台湾問題専門家にも追加取材を行ったが、ほとんどの専門家はAITが示した立場を肯定し、これまで滅多に表明しなかったが、これはアメリカ政府の一貫した立場であると述べた。それは筆者の理解とも相違ない。
台湾地位未定論の表明を避けていた理由
ここで重要なのは、次の2つの問いだろう。①なぜアメリカはこれまで「台湾の地位未定論」の表明を避けてきたのか。②なぜ今、アメリカは「台湾の地位未定論」を表明するようになったのか。
1つ目の問いには、第2次世界大戦後のアメリカの対中政策そのものが関わっている。戦後間もない頃、アメリカは「台湾の地位」は対日講和において決定されるまで「未定」であるとの立場をとっていた。しかし、朝鮮戦争が勃発し、中華人民共和国がこれに参戦すると、アメリカは台湾を統治するようになっていた中華民国政府への関与を強めた。
こうした状況下で、1952年に発効された「サンフランシスコ平和条約」には中華人民共和国も中華民国も加わらず、同条約では日本が台湾・澎湖諸島を放棄することのみが確認された。これが「台湾の地位未定論」の論拠となっている。
ただし、アメリカのイニシアチブの下、中華民国は「日華平和条約」という講和条約を日本と個別に結んだ。ここでも、台湾・澎湖諸島の処遇についてはサンフランシスコ平和条約が踏襲されたが、日華条約の意味は(将来はともかくとして)中華民国が台湾・澎湖諸島を(現状として)統治している事実を認めることと同義であった。
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