「日本初のタワマン」は意外にもさいたま市にあった...築約50年の「与野ハウス」が北与野にもたらした大きな変化と、住民たちの本音

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そんなわけで、今回は与野ハウスの周りを歩いた。1976年竣工で、地上21階を含む4本の棟で構成されている。当時の広告を見ると、価格は752万円〜3485万円で、月額の管理費は4500円〜1万7100円となっている。大卒の初任給が10万円を切っていた時代だからかなりの高額と言えるだろう。

高さは60メートルほどだが、当時としては十分に高層だ。今眺めると、その佇まいに派手さやブランド感はないけれど、どこか人の気配が濃くて、落ち着いた印象を受けた。

「日本ハウジング全書(1974年版)」より(筆者撮影)

予定通りに発展した街

与野ハウスはJR埼京線の「北与野駅(さいたま市中央区上落合2丁目)」に隣接するようにそびえている。

ただし、この駅ができたのは1985年9月だ。そのほぼ10年前に与野ハウスは竣工している。北与野駅ができるまでは、「与野駅(さいたま市浦和区上木崎1丁目)」が最寄りだった。ここからだと、徒歩で15分ほどかかる。

与野ハウス
「国土地理院 電子国土Web」より筆者が作成

古い住民が次のように話してくれた。

「分譲が始まる前から、“大丈夫ですよ、将来的にはもっと近い場所に駅ができますから”って販売の人が言ってました。本当かなぁって思いながら購入したんだけど、実際に北与野駅はできたし、その後もさいたま新都心の再開発は大々的に行われるしで、このへんは本当に変わりましたね」

与野
赤く示したあたりを今回歩いた。「国土地理院 電子国土Web」より筆者が作成
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