「商売をなめていました」 滋賀の大人気ラーメン店が東京に進出も直面した高い壁と理不尽。「地元にUターン」した今、店主が本音で語ること

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その中で、ついに立ち退きの期限が過ぎてしまい、移転を余儀なくされる。インターネットで見つけた蒲田の物件に決め、2023年7月に2度目の移転をする。

土地勘のまったくない中、一からの営業となった。駒込にオープンしたときの「滋賀の人気店が来た」というような話題性を作ることができず、オープンラッシュが作りづらい状況だった。その中で徐々に売り上げは上がってきていたが、またもアルバイトが集まらない状況に陥った。

「駅から少し離れていたこともあり、駅前の飲食店に人を取られて、まったくアルバイトが集まらない状況でした。

結局妻と2人でお店を回すことになってしまい、『従業員を入れてお店を大きくしたい』という理由で東京に来たのにこれでは意味がないと考えるようになりました」(秦さん)

同じ時期に母や義父が病気になったということもあり、東京を閉めて滋賀に帰ろうという話になった。こうして「ラーメン 奏」は2024年5月、移転からわずか10カ月で閉店となった。

「地元に愛されるお店作りを一からしていきたい」

滋賀県の栗東市に移転。有名店のUターンは大きな話題となり、今では行列店となっている(筆者撮影)

「奏」は今は滋賀県栗東市で再び行列を作っている。蒲田の閉店から半年後の2024年12月にオープンした。

筆者も久しぶりに「奏」のラーメンを食べたが本当に美味しく、何より近隣のお客さんがたくさん集まっていることに安心した。

「3年3カ月の東京のチャレンジでしたが、いい勉強になりました。今思えば、滋賀でずっと行列を作っていたのが当たり前になっていて、テングになっていた部分はあると思います。調子に乗ってはダメだったんです。

美味しいラーメンを作っていれば人が来るというのはウソで、商売をなめていました。もう少し簡単にうまくいくと高をくくっていたところがあったんです。

蒲田での厳しさがそれを教えてくれました。『そろそろ気づけよ』というメッセージだったのかもしれません」(秦さん)

美味しいラーメンを出せば、人気店になれるわけではない……東京での経験は、秦さんにとって大きな学びになった(筆者撮影)
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