「十数年前までほとんど人が住んでなかった」「今でも外国人客は降りない」…。湾岸でも”地味な街”だった「有明」の洗練の歴史

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近隣住民とライブ客に価値を提供する「有明ガーデン」(筆者撮影)
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お台場と豊洲の間で鳴りを潜めていた有明。今では、住む人も訪れる人も増加した――。
さまざまな街にある商業施設を、「どのようにして街を変えたか」という観点からレポートする本連載。今回は「有明」周辺を歩く。

湾岸の中で埋もれていた有明

前編では、「有明ガーデン」によって近隣住民の暮らしは便利になり、さらに遠方からのライブ客も食や滞在、推し活を楽しんでいると紹介した。なぜ、有明にこのような施設が開発されたのか。有明の街の歴史を遡っていこう。

東京湾岸に位置する有明は、埋め立て地。1930年から埋め立てが始まった。

1995年に、東京臨海新交通臨海線、通称ゆりかもめが開通。1996年には、国内最大の国際展示場「東京ビッグサイト」が誕生した。

「東京ビッグサイト」はあるものの、プライベートで有明に行く機会は少なく、あまり馴染みのない街であったと思う。

有明の隣にあるお台場は、1996年オープンの「デックス東京ビーチ」をはじめ、商業施設開発が続いた。東京のひとつのアイコンになっているフジテレビ本社もある。

お台場の中でも古参の「デックス東京ビーチ」(筆者撮影)
レインボーブリッジ お台場
レインボーブリッジとお台場(筆者撮影)
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