鶏と魚介メインのスープで、魚介の効き方がとにかくシャープ。無化調(うま味調味料不使用)ながら素材のうま味を重ね合わせ、しっかりとした旨味で個性までも感じる至高の一杯を提供していた。

愛されたお店だったが、岡田さんの体調不良で2024年5月に惜しまれつつ閉店していた。「かいか」はそんな「もつけ」が帰ってきた、と話題で、待望のオープンとなった。岡田さんはどんな思いでプロデュースを決めたのか、話を聞いた。
無化調のラーメンのおいしさに震えた
岡田さんは青森県生まれ。その後多摩エリアで育ち、17歳から中華料理の道に入る。修業していく中で、20代で独立してお店を出したかったが、景気が悪くその夢はかなわなかった。
中華料理は食材の種類が多く、厨房の機器にもお金がかかるため、お店を出すには巨額の初期投資が必要で、何かほかに道はないかと模索をしていた。
この頃、八王子にある「煮干鰮らーめん 圓」のラーメンに出会う。ここの提供している無化調のラーメンのおいしさに震えた。こんなラーメンを作りたいと思った岡田さんはラーメン店で修業を始めた。
2015年、雇われのラーメン店長をしていた頃、交通事故に遭い腰を悪くしてしまう。改めて体が資本だと思った岡田さんは、早く独立してお店を始めようと決意する。こうして2016年3月「もつけ」はオープンした。38歳というかなり遅い独立だった。

カウンター6席のお店で、宣伝は特にせず、母と二人で始めた。
毎日60人から70人のお客さんが来てくれて、お店をやりながら自分の作りたい味に近づけていった。12月には初めて100食を突破し、母と喜んだ。ここからは繁盛店となり、各地からお客さんが集まる名店になっていった。
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