“20世紀最後の大型新人”shela「全盛期は作られた自分にもがいて…」当時の知られざる葛藤や一人息子への想いも明かす

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shela
2024年、2025年に20年以上ぶりのライブを大成功させたshela。会場は大盛り上がり!

1999年、「20世紀最後の大型新人」としてシングル曲『White』でデビューしたアーティストのshela。翌年11月には日本有線放送大賞新人賞を受賞し、2001年には1stアルバム『COLORLESS』でオリコン週間1位になるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍した。スタイリッシュな風貌と思春期における等身大の気持ちを描いた歌詞が人気を博し、CDを繰り返し聴いていた同年代のファンも多いだろう。

shelaは2011年頃に事務所との契約を終了して以降、メディアに姿を現さなくなったが、2024年には22年ぶりに東京でライブを開催。翌年に同じく東京で行ったライブともに大成功を収めた。Instagramなどの本人SNSでは、近況や2000年代の思い出などをたびたび投稿し、ファンがこぞってコメントを寄せるなど、交流も楽しんでいる。

「当時はファンの方々と接する機会がかなり限られていたこともあり、申し訳なさを感じていました。今は近い距離感でいられることが嬉しいし、みなさんと会える場を増やせるよう、まだまだ頑張っていきたいなと思ってます」と語るshelaに、デビュー当時はどんな気持ちで過ごしていたのか、今だから語れる思い出話など、2000年代を振り返ってもらった。

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渋谷に貼られたポスターを見ても「自分だと思えなくて」

1999年のデビュー以降、前述のように華々しい活躍を見せていたshelaだが、本人は「毎日スタッフの方と一丸となって頑張っていましたが、例えば1stアルバムがオリコン1位になったと聞いても正直、実感がわきませんでした。うれしいのはもちろんなのですが……」と、複雑な心境を明かす。

「当時、渋谷や表参道のビル看板に私のパネルが貼られているのを見るたび、“ああ! すごい!”とは思うものの、そこに映っているのが自分なんだとは、なぜだか思えなくて……。周囲は盛り上がってくれていたんですけどね。

ライブや公開ラジオでファンの方とお会いしても、“歌詞に共感できる”などの声は励みになっていましたが、とにかくストイックに、そして一方的にボールを投げ続けているような感覚で。実際に誰かがキャッチしてくれているということに気づけないほど現実感がなく、ずっと必死でした」(shela、以下同)

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