ついに台湾企業の傘下へ、"第2のソニー"になり損ねた「音響の名門」パイオニアがたどった蹉跌

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「CEATEC JAPAN 2012」のパイオニアのブース。かつては「第2のソニー」として期待され、キラキラと輝いていた企業だった(写真:ロイター/アフロ)
日本のオーディオ産業は、1970年代から1980年代にかけて多くの専業メーカーが登場し、まばゆいばかりの輝きを放った。なかでもパイオニアは、大手家電メーカーが“横綱”であるとすれば、その座を脅かす“大関”のような存在だった。
「昭和の音楽世代」にとっては、単なるメーカーではない。「パイオニア」と聞けば、あの時代が蘇る。一時期、創業者とも交流した筆者が、再燃する昭和レトロブームに誘われるかのように、日本のオーディオ産業の軌跡をたどり、「第2のソニー」になり損ねたパイオニアの成功と失敗について、前後編に分けて解説する。
後編:"音響の名門"パイオニアの「台湾傘下入り」が秘める《車のスマホ化》という希望と《経済安保》のリスク
(外部配信先ではハイパーリンクや画像がうまく表示されない場合があります。その際は東洋経済オンラインでご覧ください)

半世紀前の忘れえぬ感動

「パイオニアよ、お前もか」

シャープに続いて、パイオニアまでもが台湾企業の傘下となった。このニュースを知り、複雑な思いを抱いた人は少なくないだろう。長年親しんできた「日本発のブランド」が、次々と外国企業やファンドに買われていく現実に、一抹の寂しさを覚える。

かつて日本のオーディオ業界を牽引したパイオニアが、台湾企業イノラックスの子会社CarUXホールディングに買収される。2025年中に完了予定とされるこの買収は、筆者にとって深い感慨を覚える出来事だった。

1978年の春のことである。筆者はJR山手線・目黒駅の近くにあった白亜の旧本社ビル(1974年竣工)に足を踏み入れた。その瞬間の感動を忘れられない。

広々としたロビーには、来訪者が自由に音を体験できるオーディオルームが設けられ、さらに本格的なレコーディング・スタジオまで完備されていた。まさに「音の殿堂」と呼ぶにふさわしい、当時としては革新的な空間が広がっていた。

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