ついに台湾企業の傘下へ、"第2のソニー"になり損ねた「音響の名門」パイオニアがたどった蹉跌

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その頃のパイオニアはオーディオ専業メーカーの雄として快進撃を続け、家電大手からも一目置かれる存在であり、多くの若者にとって「かっこいい会社」の代名詞だった。パイオニアがスポンサーになったテレビ番組では、ミュージシャンをフィーチャーしたCMを流していた。

今のテレビCMよりもよほど鮮烈な印象を受けた。「第2のソニー」になるのではないかと目されるほどの輝きを放っていた。そのまばゆいばかりの存在感と、半世紀の時を経て伝えられた今回の買収の報との間の隔たりは、筆者に諸行無常を改めて強く認識させた。

なぜ、パイオニアはこの道を選ばざるをえなかったのか。そして、その選択の先に何があるのか。この問いを深掘りしていく。

ソニーとも共通する創業者の気性

パイオニアの物語は、1人の男の揺るぎない信念から始まった。創業者である松本望氏は、父が神戸のキリスト教伝道師であったことから、自身もクリスチャンだった。

その精神は、創業時の社名「福音商会電機製作所」に色濃く表れている。「福音」とは、聖書における「いい知らせ」を意味する言葉であり、松本氏が事業を通じて社会に良い影響をもたらしたいという純粋な願いが込められていた。

筆者は幸運にも、松本望氏をはじめとする全盛期の歴代社長と直接対話する機会に恵まれた。筆者が松本氏と話をした際、その言葉の端々から敬虔なクリスチャンとしての深い愛があふれていた。

ちなみに、ソニー創業者の1人である井深大氏も、神戸育ちのクリスチャンで社会貢献活動に熱心だった。どちらも進取の気性に富み、心の温かさを感じさせる人柄だった。

松本氏の事業に対する闘争心は、幼少期の経験に深く根ざしている。松本氏は「小学校へ入学した時分から、新聞配達やミルク配達などをしていた」「家業を手伝うことがごく自然なことであり、勤労の精神が身についていった」と記している(松本望『回顧と前進』電波新聞社、1978年)。

伝道師であった父から「クリスチャンは勤勉であれ」と教えられたこととも相まって、早くから勤労の精神が身についていた。そのため、経営や事業については非常に厳格であったものの、人柄は牧師さながらの温厚な人だった。

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