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配備から40年超、日本の哨戒担った「P3C」が最終章迎えるが、純国産の後継機は不具合多発で会計検査院が異例の指摘

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40年以上にわたり、日本の哨戒任務に就いてきたP3C (記者撮影)

7月上旬、千葉県柏市にある海上自衛隊下総航空基地。真っ白の制服に身を包んだ若い海上自衛官たちが緊張の面持ちで整列していた。行われていたのは、哨戒機の名機といわれる「P3C」の新人乗員の「教育隊からの卒業式」だ。下総航空基地には乗員を養成する教育隊がある。

四方を海に囲まれた日本の周辺海域では、各国の潜水艦が隠密行動をしているともいわれる。P3Cは、自衛官たちの間で「もぐら」と呼ぶ他国の潜水艦を、上空から警戒・監視する任務を40年以上にわたり担ってきた。

開発したのはアメリカのロッキード社(現ロッキード・マーチン社)で、川崎重工業がライセンスを取得し、これまでに約100機を生産してきた。そして今回、教育隊を卒業した若者たちはこのP3Cの最後の新人乗員となる。以降の乗員教育は後継機のP1向けに全面移行される。今後、海上自衛隊内でのP3Cの運用は、公式発表はないが、ここ数年のうちにはほぼすべてが退役していくとみられる

田中角栄逮捕、ロッキード事件の時代

P3Cといえばロッキード事件。そう想起する人は少なくないだろう。さかのぼること約50年。アメリカのロッキード社(当時)からの航空機の売り込みに絡み、日本政界に賄賂が流れたとされる戦後最大の疑獄事件で、1976年には田中角栄元首相が逮捕された。この事件の直後にロッキード社が開発したP3Cが海上自衛隊に配備されることが決まったため、導入決定と事件の関係性が疑われた。

1977年に政府がアメリカからの数機の輸入と、以降の川崎重工業によるライセンス生産を決定した。実際に海上自衛隊への配備が始まったのは1983年で、東京ディズニーランドが開園し、NHK連続テレビ小説「おしん」がヒットした年だった。

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