ついに台湾企業の傘下へ、"第2のソニー"になり損ねた「音響の名門」パイオニアがたどった蹉跌
松本氏は創業の思いについてこう述べている。
「わが社は音の専門メーカーである。音をもって社会に貢献することを忘れではならぬ。そのためには最高の技術を活かして大衆が喜んで利用できる価値でなければ事業の意味を失う」(『回顧と前進』)
これは単なる企業理念ではなく、隣人愛の実践という松本氏の深い信仰に根ざしていた。彼らにとって、事業は利益追求のみならず、社会に対する使命感に裏打ちされた「開拓」そのものだった。
このような松本氏のパーソナリティーが影響してか、パイオニアは早くから企業の社会貢献を実践していた。例えば、1970年代以降、全国の学校や社会教育施設へオーディオ機器の継続的な寄贈を行うなど、教育・文化振興に積極的に貢献したことは、その代表的な事例だ。これは、今や当たり前となった企業の社会的責任(CSR)だが、パイオニアは当時から非常に熱心だった。
この精神は、1961年の社名変更で「パイオニア株式会社」となる際、社是として明文化された。「社会に奉仕すること」「社会から信用と尊敬を得ること」「開拓者精神を発揮すること」「すべてに均衡を重んじること」「常に和を尊び協力一致すること」。これらは、単なるスローガンではなく、創業者が全社員に共有を求めた価値観そのものだった。これら社是に裏打ちされた「開拓者精神」は、パイオニアの輝かしい歴史を築き上げるうえで原動力となる。
「世界初」「業界初」を連発した輝かしい歴史
パイオニアは世界初のセパレートステレオ(1962年)やコンポーネントカーステレオ(1975年)といった音響機器、世界初の業務用レーザーディスク(LD)プレーヤー(1979年)や家庭用LDプレーヤー(1980年)などのAV(音響・映像)機器、世界初のカーCDプレーヤー(1984年)や世界初のGPSカーナビゲーションシステム(1990年)、世界初の有機ELディスプレー搭載カーオーディオ(1997年)のような車載機器、さらには世界初の民生用高精細50インチ型プラズマディスプレー(1997年)など、多岐にわたる分野で「世界初」「業界初」を連発する輝かしい歴史を築き上げた。
1970年代から1980年代にかけて、日本は空前のオーディオブームに沸いた。パイオニア、トリオ(現JVCケンウッド)、山水電気は「パイ・トリ・サンスイ」「オーディオ御三家」と呼ばれ、その黄金期を牽引した。この時期、デノン、オンキョー、マランツなど、多くの中堅オーディオ専業メーカーが次々と台頭し、市場は活況を呈した。
その好調ぶりに刺激され、松下電器産業(現パナソニック ホールディングス)、日立製作所、東芝、三菱電機などの総合電機メーカーも「オーディオ専業メーカー」のイメージを出すため、こぞってオーディオ専用サブブランドを創設し、オーディオ市場に参入してきた。この熱狂は国内にとどまらず、日本のオーディオ製品はまさにグローバルブランドとして世界を席巻した。
この激しい競争の中で、オーディオ専業メーカーが大手総合電機メーカーよりも大きなシェアを獲得し、その存在感を示した。この市場の変化は、単なる「機能的価値」の追求だけでなく、デザインやブランドが持つ「意味的価値」が、いかに重要であるかをメーカーに痛感させた。そして、その熱狂のさなかに大きな転換点が訪れる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら