ついに台湾企業の傘下へ、"第2のソニー"になり損ねた「音響の名門」パイオニアがたどった蹉跌

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ソニーが1979年に世界初のヘッドホンステレオ「ウォークマン」を発売し、世界中で大ヒットしたのだ。音楽の購入から再生まで「iTunes」で簡単につながるようにした「iPod」が2001年に、2007年に「iPhone」がアップルから発売され、お株を奪われてしまうが、ハイファイサウンドをアウトドアで聴くという新たな市場を形成した意義は大きかった。このライフスタイルが急速に普及するのに伴い、大型の据え置き型ホームオーディオの存在感が低くなっていく。

ソニーは「ウォークマン」の成功でソフトの重要性を確信した。つねに松下電器産業の背中を追い続けていたソニーは、早くからハードウェア単体での競争激化と利益率の限界を痛感していた。早くからハードウェアとソフトウェアの融合による相乗効果に活路を見いだそうとした。

1968年にはアメリカのCBS(Columbia Broadcasting System)との合弁でCBS・ソニーレコード(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)を設立。その後もエンタテインメント事業への大規模な投資を継続する。

1988年には世界最大のレコード会社であるCBSレコード(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)を、さらに1989年には映画会社コロンビア・ピクチャーズ(現ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント)を買収するなど、コンテンツ分野への本格的な参入を果たした。

そして、1994年には家庭用ゲーム機「プレイステーション」を発売し、ゲーム事業も基幹事業の1つに据える。現在、ソニーグループはエンタテインメント企業としての地位を確立している。

パイオニアとソニーの分岐点はどこだったのか

一方、パイオニアはどうか。前述のとおり、LD事業への参入など多角化自体は非常に早かった企業だ。1979年には業務用LDプレーヤー、1981年には民生用LDプレーヤーを発売し、次世代の映像メディアとしてLDの普及に尽力した。

とくに業務用LDプレーヤーは、カラオケ機器の普及とともに大きな成功を収め、パイオニアはこの成功を武器にソフト市場への本格進出を企図した。実際、1970年にはワーナー・ブラザースとの合弁でワーナー・ブラザーズ・パイオニア(現・ワーナーミュージック・ジャパン)を設立。この動きはソニーがCBS・ソニーレコードを有し、音楽ソフト分野を拡充させようとしていた戦略と軌を一にするものだった。

しかし、その後のプラズマテレビ事業への参入と撤退が、パイオニアの経営を大きく左右する転換点となった。

1997年に世界初の民生用高精細50インチ型プラズマディスプレーテレビを商品化。その技術にさらに進化させて2007年に発売した「KURO」シリーズの深い黒の表現映像は、プロフェッショナルをもうならせた。一時は日本国内シェア5割を超えるまでに成長し、自社で基幹部品であるPDP(プラズマディスプレーパネル)を生産する拡大路線をとった。

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