山本:角田さんの現代語訳、冒頭はこうですね。「いつの帝の御時だったでしょうか——」。冒頭は「ですます調」の敬語表現ですが、このあとから変わります。
普通の小説のようにさくさくと読めて、作品世界の中に入っていけます。
普通の現代語訳だったら、「女御、更衣あまた候ひ給ひける中、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり」を、「女御や更衣といったお妃様がたくさんお仕えになっていらっしゃったなかに、最高の家柄ではなくて帝の深いご寵愛を受けていらっしゃる方がいました」というふうに訳しますね。
〈候ふ〉〈給ふ〉〈奉る〉などの語にしたがって、現代語まで〈いらっしゃる〉〈なさる〉〈さしあげる〉といった敬語のオンパレードになるので、読んでいてわけがわからなくなることが多いんです。でも角田さんの訳は、すっとわかる。ストーリーが一番入ってくる訳です。
「文法に忠実」であることよりも
角田:ありがとうございます。お叱りを受けなくてよかったです(笑)。
山本:いえいえ(笑)。私も現代語訳をするんですけれども、私の訳をそのままテストの解答欄に書いてしまう高校生や受験生がいたら困るので、「これはテストには書かないでください」と言いながら、自分なりの意訳みたいなことをしています。
私は10年間、高校の教壇に立っていたんですけれども、テストの解答欄に書けること、つまり文法に忠実なことを教えていると、あちこちで生徒が眠ってしまうんですよね。「み・み・みる・みる・みれ・みよ(上一段活用)」なんて教えていると、スゥッと寝息が返ってくる。
それよりも「紫式部はお餅を食べていたんですよ」とかそういう話をすると、生徒の目が爛々と輝くんです。ですから「その昔、帝に深く愛されている女がいた」と言われると、みんな爛々と読めるだろうなと思います。ありがとうございます、この現代語訳を書いてくださって。
角田:あたたかいお言葉をありがとうございます。
「桐壺」を読む:愛されれば愛されるだけ増えた「その女」の気苦労
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