
桐壺 光をまとって生まれた皇子
輝くばかりにうつくしいその皇子の、光君という名は、
高麗の人相見がつけたということです。
若宮を恋しく思い出す日々
はかなく日は過ぎて、七日ごとの法事にも帝(みかど)はきまってお見舞いの使者を遣わせる。時がたてばたつほど悲しみは深まり、帝は、ほかの女御(にょうご)や更衣(こうい)たちとも夜を過ごすこともなくなった。ただ涙に暮れ、夜を明かし日を暮らしている。悲しみに打ちひしがれたその様子を見ている女房たちも、思わずもらい泣きをしてしまうほどである。
そんな帝を見て、弘徽殿女御(こきでんのにょうご)は「亡くなった後まで、こちらを不愉快にするご執心ぶりですこと」と、相変わらず容赦なく言う。
帝は、長男である一の宮(いちのみや)の姿を見るにつけても若宮を恋しく思い出し、親しい女房や乳母(めのと)をたびたび桐壺(きりつぼ)の実家に遣わせて、若宮の様子を尋ねるのだった。
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