「鍋から煙が…」憧れの仕事を辞めた彼女の気づき 「教員を休職→空白期間」経て選んだ新たな人生

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「担任制を採用している小学校では、担任以外が授業を進めることが基本的にはできません。仕方なく休まなければいけないときは、授業を進められないぶん、あとで自分が大変になってしまうんです」

ただでさえ、教員は業務が多い。夜通し子どもの看病をし、朝5時に起床。寝不足のまま出勤し、積み残された業務をひたすらこなすような日々が続いた。心身ともに疲弊していった成田さんだったが、それを生徒に悟られるわけにはいかなかった。

「正直、ボロボロになっていたけど、生徒の前では明るく振る舞わないといけません。どんなに眠くて疲れていても、朝は生徒を『おはよう!』と明るく出迎えていました」

子育て中の同僚の中には、子どもが体調を崩した際は近くに住む両親にサポートしてもらえる人も多かった。しかし、成田さんの場合は自分と夫、どちらの両親とも離れて暮らしており、気軽に頼れる状態ではなかった。

体調を崩した我が子を泣く泣く病児保育に預け、それもできないときはやむなく遠方に住む義理の両親に預けることも。成田さんは1週間、わが子の顔をみることができない日もあったという。子どもの育ちを支える存在であるはずの教員自身が、子育てができない、という状況に陥ってしまっていたのだ。

夫との関係にも、ヒビが入っていった。睡眠不足や余裕のなさからイライラすることも増え、学校ではネガティブな感情を出せないぶん、家で頻繁にぶつかるようになった。

「あの頃は夫婦どちらも、常にイライラしてたかもしれないです。子どもが熱を出したら、夫とどうするか話し合うんですが、『私は明日は絶対休めない』『いや、俺も休めない』みたいな感じで、平行線になってしまって…。結果的に私が休む時もあれば、夫が休む時もありましたが、喧嘩はすごく多かったですね」

このままだと火事や事故を起こすかもしれない

過酷な日々をなんとか1年やりすごした成田さん。しかし、更なる困難に直面する。きっかけは、別の小学校への異動だった。家庭の事情を理由に異動を避けることはできないか、校長先生から教育委員会に相談していたものの、人事配置などを理由に聞き入れられることはなかった。

異動先は生徒数が1500人ほどもいるような大規模の学校で、業務も大幅に増えた。さらに、その学校はデジタル化が進んでおらず、出欠や成績の管理も手書き。以前の学校では数分で終わっていたことが、数十分、数時間かかるようになってしまった。

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