「早稲田大24連敗」挑み続けた彼が世界で掴んだ夢 美大から進路変更、早稲田にこだわった理由

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「親はもう次の浪人はないと考えていたので、合格した東京理科大学に入学金と授業料を振り込んだんです。泣きながら『やめてくれ』と頼んだのですが、もうお金を入れた後だったので諦めました」

東京理科大学に入学した栗山さんでしたが、大学でいろんな講義を受けてみたうえで、結局諦めきれずに仮面浪人を決断します。

「毎日授業を取っていない飯田橋キャンパスまで行って、自習室で勉強しました。ある程度続けたのですが、予備校に行かないことへの限界を感じ、父親にお願いして母親に内緒で予備校に行きはじめました」

1~2浪目と同じ早稲田予備校に通いだした栗山さんは、この年、早稲田大学の合格水準である偏差値60台後半まで成績を上げます。

「2浪目に実践していた勉強法を続けていました。どんなときも早稲田のことを考えていたので、ゲタで通学し、予備校の階段を登りながら校歌を歌っていました。インターネットの掲示板に、『あのゲタ男なんなの?』と書かれていたくらいです(笑)」

しかし、この年も早稲田大学の複数学部を受験しましたが、全落ちに終わってしまいました。

「得点開示をすると、複数の学部であと数点足りず、惜しい不合格ばかりでした。籍を置いていた理科大をやめて、両親に重みのない土下座をしたのは覚えていますが、受験の結果が出てから4浪を始めるまでの記憶がほぼありません」

彼は3浪目の失敗をこう振り返ります。

「後から思えば、この年は復習に重点を置きすぎて、演習が足りませんでした。時間を計って早稲田の過去問を解くのが怖くて、あまりできずに、試験全体の時間配分や力の抜き方がわからないまま本番に臨んでしまった結果、力を出しきれなかったんです」

成績を上げるために決意したこと

それでも受験をやめるという選択をしなかったのは、自分にかかった「呪い」が大きかったそうです。

「僕は早稲田じゃなきゃダメだったんです。いい大学に行きたいとか、就職したいとかではなくて、ただ、『早稲田』という空間で生きたかったんです。この段階を通過しないと、自分の人生は決して進まないという呪縛がかかっていたような感じです

4浪に突入するにあたって、彼は予備校を変えて代々木ゼミナールに入ります。

「早稲田予備校で早稲田が大好きな先生方に囲まれてモチベーションを上げるのも大事でしたが、純粋に成績を上げるには、多くの講師の中で競争にさらされている大手予備校の授業のほうがいいと思いました」

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