【朝ドラ】あんぱんのモデル「やなせたかし」が"心優しいヒーロー"描いた背景 幼少期にもらったアンパンの思い出

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アンパンマン やなせたかし 朝ドラ あんぱん
(写真:長田洋平/アフロ)
NHKの連続テレビ小説「あんぱん」がいよいよスタートした。漫画家のやなせたかしと妻の暢(のぶ)をモデルにした物語である。やなせたかしといえば、子どもたちに人気の「アンパンマン」の作者として知られているが、ブレイクしたのは69歳のとき。30代でマンガ家デビューを果たして以来、長く不遇の時代を経験している。遅咲きだったやなせたかしは、いかにして飛躍したのか。『大器晩成列伝 遅咲きの人生には共通点があった!』の著者で偉人研究家の真山知幸氏が解説する。

朝ドラ「あんぱん」のモデルのやなせたかし

やなせたかし(本名:柳瀬嵩)は1919(大正8)年2月6日に、高知県香美郡在所村(現・香美市香北町)出身の両親のもとに、長男として生まれた。2歳のときに弟の千尋が誕生している。

柳瀬家は江戸時代から続く裕福な庄屋だったが、やなせの父・清が生まれたときには、すでに没落の兆しがあったようだ。

学業に優れた清は、名門の高知県立第一中学校(現:県立高知追手前高校)を卒業後、上海に留学。東亜同文書院で学んだのち、日本郵船の上海支店に2年勤務している。その後、清は講談社に転職し、月刊誌『雄弁』の編集者として雑誌作りに携わった。

月刊誌『雄弁』とは聞き慣れない雑誌名だが、そこに講談社のルーツがあることは、あまり知られていない。講談社の創立者・野間清治が東京帝国大学文科大学の職員になったときに、大学内の弁論熱に目をつけて、創刊したのが『雄弁』である。

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