「早稲田大24連敗」挑み続けた彼が世界で掴んだ夢 美大から進路変更、早稲田にこだわった理由

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栗山さんは、埼玉県の狭山市で公務員の父親と、絵画教室の先生をしている母親のもとに生まれました。彼の幼少期は「人を喜ばせるのが好き」な面倒見のいい兄貴分的存在だったようです。

中学受験で東京の中堅私立中高一貫校に合格したように、勉強にも真面目に取り組んでいた栗山さん。

しかし、中学に入ってからは学業から遠ざかってしまいます。

「中1の最初の成績は150人くらいいた同級生の中でも10番以内に入っていましたが、中3になるころには後ろから10番に入るようになってしまい、それからは最下位近くが定位置でした」

絵やイラストを描いて雑誌にも載っていた栗山さんは、先生や仲間からも「勉強はできないけど、美大には行くだろう」と思われていたそうで、特に進路に関しては心配されてはいなかったそうです。

そんな彼の人生を大きく変えたのが、後の母校となる早稲田大学との出会いでした。

偏差値=年齢からの早稲田への挑戦

高校3年生になった栗山さんは、夏くらいになんとなく行った早稲田大学のオープンキャンパスで「雷に打たれたような衝撃を受けた」と言います。

「フィクションの中で出てくる勉強ができる人って、嫌な人間に描かれたりしますよね。そういう固定観念が頭の中にあったので、僕も勉強する気が起きませんでした。でも、早稲田で会った人たちは違ったんです。彼らは頭がいいのに、いろんなことに意欲的で、熱い気持ちを持って挑戦をしていることにびっくりしたんです。僕は彼らのそのエネルギーに圧倒されて、早稲田に惚れたんです」

その後早稲田大学は、起業家・漫画家・クリエイター・役者などさまざまな業種で活躍する人々を輩出していることも知った栗山さん。「将来モノを作る仕事をするためには、美大ではなく、早稲田でもいいんだ」と思えたことで、秋から本格的に早稲田大学を目指そうと決めました。しかし、求められる学力と実際の成績との乖離は深刻でした。18歳だった彼の当時の偏差値は、年齢と一緒だったそうです。

「当時受けた進研模試の偏差値は18でした。信頼していた友人や先生に『美大じゃなくて早稲田に行く!』と宣言したところ、この成績では難しいと、みんな口々に言いました。僕はその反応を受けて、落ち込むよりも腹が立ったんです。みんなが無理だということを絶対にやってやろうと思いました」

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