修行でウツになった僧侶”復活”した意外な方法 「私はこの健康法のおかげで84歳まで生きられた」白隠禅師が勧めた「軟酥の法」と「内観の法」とは?

✎ 1〜 ✎ 12 ✎ 13 ✎ 14 ✎ 15
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
呼吸 禅
ひとつ息をするこの瞬間にも、全力を注ぐことです。そうすれば、余計な思いに囚われることはありません(写真:Graphs/PIXTA)
あれもこれもと心配ごとが多すぎて、身動きがとれなくなっているのが現代人。どうしたら、不安に囚われることなく、「今、この瞬間」を全力で生きることができるのでしょう。
新著『考えすぎないコツ』では、禅僧であり世界的な庭園デザイナーでもある枡野俊明さんが、「頭をからっぽにして、心を無の状態にする」ためのヒントを解きます。
本稿では、同書から一部を抜粋してお届けします。

一度死んだら、二度死なぬ

一度死んだら、二度死なぬ」とは、江戸中期の禅僧、白隠禅師の言葉です。

『考えすぎないコツ:「気づいて」「ほどいて」「放っておく」人生を軽くするシンプルな本質』書影
『考えすぎないコツ』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

日本で禅が生まれたのは、親兄弟が殺し合うような時代、死が身近にあった鎌倉時代のことです。死の気配を濃厚に感じながら、人はどう生きればいいのか。特に武士は、自分の生きる拠り所を模索しました。

禅は、そのとき「今、この瞬間」をひたすらに生きることを説きました。白隠禅師の「一度死んだら、二度死なぬ」という言葉が意味するのも同じことでしょう。人は一度しか死なないのだから、その死を迎えるまでの間を必死に生きるしかない。だから「生き切れ」。白隠さんはそう言っているのだと思います。

それは戦国の世に限ったことではありません。

生きているうちは生き切ること以外に人間にできることなどないのです。過ぎてしまった後悔も、まだ起こってもいない未来についての不安も、考えたって仕方ない。そんなことをすれば、不安が不安を呼び、心を蝕んでいくでしょう。

ひとつ息をするこの瞬間にも、全力を注ぐことです。そうすれば、余計な思いに囚われることはありません。たとえ死が目の前に迫っていても、です。

次ページ禅僧たちが長生きする理由
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事