「声優の仕事は平日はアフレコ、土日はイベントで半年後までスケジュールが押さえられてしまい、やりたいことができなくなるんです。『これじゃあ、町おこしもできない』と思ってセーブしました」
声優といえば、巷の小中学生の人気職業ランキングでも、つねに上位に来るほどの人気職業。
ましてや、その声優として確固たる地位を築きつつある中で仕事をセーブする。
健康上の理由などであれば理解できるが、返ってきた答えは「町おこし」という意外なキーワードだった。
そんな安達が町おこしを志すようになった理由を知るには、彼の半生を振り返る必要があるだろう。
悔しくて泣いた「こんな田舎じゃ無理だから」
「小6のときに『芸能界に行きたい』って決心したんですけど、誰にも言えなくて。中学の頃に、親戚の集まりの席で、意を決して伝えたんです。そうしたら、『こんな田舎じゃ無理だから』って言われて、悔しくて泣いたんです」
安達勇人が芸能界を志したのは早く小学生の頃。父は公務員、母は銀行職員と画に描いたような堅い家庭環境で育った。そのうえ「田舎特有の保守的な考え方」から芸能界入りを否定され、以来言えずにいた。
高校生の頃にみた映画『ラストサムライ』にも強く影響を受け、ますます芸能界への憧れは膨らんだ。
しかし現実は、幼少期から始めた剣道に明け暮れる毎日。高校3年の頃には剣道部の主将を務め、ついには全国優勝を果たすまでになっていた。
全国優勝というひとつのことをやり遂げ、改めて芸能界への挑戦を決意する。当然、剣道での大学推薦なども多数来たがすべて断り、上京した。このとき、安達には「ある想い」があった。
「芸能界入りを決心したとき、僕は『こんな田舎じゃ無理だから』と悔しい思いをしました。『これが次の世代にも起きるのはダメだ、変えなきゃ』と思って。そのためには、まず自分が『茨城を動かせる人間』にならないといけないと思ったんです」
安達の町おこしへのスタートは、「保守的な田舎の風潮を変えたい」という一心からだった。
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