日本マイクロソフト"超スムーズ人事"の裏側 外資ITらしからぬ、きれいなバトンタッチ
「外見と名前が合わないとよく言われる」。
会見でそんなジョークを飛ばしたのが、2015年7月1日から、日本マイクロソフトの社長に就任する平野拓也氏。
父が日本人、母が米国人の平野氏は、自らを「北海道で生まれた道産子」と称し、「日本人なのか、外国人なのかと聞かれると、ベースは日本人だと、いつも言い切っている」と語る。
「子供のころから、父と一緒に座禅を組んだり、学ランを着て登校したり、受験勉強もした」と平野氏。北海道から大阪へ移り、その後、有名進学校である中高一貫の千葉県幕張の渋谷教育学園幕張高校を卒業。米ユタ州のブリガムヤング大に入学。1995年に卒業後、同年に、Kanematsu USAに入社。社会人人生は米国でスタートした。
1998年には、Arbor Software(Hyperion SoftwareとのM&A後、Hyperion Solutionsに社名変更)に入社。2001年には、ハイペリオンの日本法人社長に就任した。
マイクロソフト(現日本マイクロソフト)への入社は、2005年8月。今年で45歳になる平野氏は、入社10年目を迎えることになる。
転機は2011年に訪れた
日本マイクロソフト入社後は、ビジネス&マーケティング部門シニアディレクターに就任。その後、エンタープライズ分野を担当。2007年7月に執行役常務に就任した。
平野氏にとって、大きな転機だったのは、2011年7月に、米マイクロソフトのCentral and Eastern Europe(CEE)のマルチカントリーゼネラルマネージャーに就任したことだった。
拠点はドイツに置かれているものの、担当したのは、バルト3国や地中海沿岸国、そして、モンゴルまでを含む25カ国。その多くが新興国である。
日本法人からの異動で、米本社に勤務する日本人社員はこれまでにもいたが、東欧市場の統括といったように、日本法人とはまったく連動性がない組織に、しかも統括する立場で異動するのはこれまでに例がない。
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