元人気プロレスラーで、政治家として参院議員を計2期務めたアントニオ猪木(本名・猪木寛至)さんが1日、亡くなりました。
話題の書『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』の著者ムーギー・キム氏は、40年来のプロレスファンで、2013年には「東洋経済オンライン」でロングインタビューを実施。
そこで猪木氏が余すところなく語っていた「燃える闘魂」の仕事と生き様について、記事を再構成し、2回にわたり掲載します(今回は後編です)。
「コーヒー移民」で14歳のときにブラジルに
ムーギー:もともと猪木さんのご家族は、ブラジルに移民して、農業をなさっていたと聞いていますが。
猪木:「コーヒー移民」で14歳のときに移住しました。農業だけではなく、サトウキビをアルコール燃料に変える事業も行いました。岡山に林原(はやしばら)という会社があって、そこの指導を受けながらやっていました。
当時は、バイオという言葉がまだ世の中に一般化してなかった時代です。そういう経緯があって、エネルギー問題、特に食料問題には政治家になる前から興味がありました。
ムーギー:ここまで話を伺って、猪木さんが付加価値を出せるポイントをまとめますと、ひとつは外交分野。残りの2つが、農業とエネルギーということですね。この中で、今後6年間の最優先事項は、やはり北朝鮮外交でしょうか。
猪木:そこは、みなさんがいちばん期待していますね。
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