マニラ、ダカール、なぜ途上国で働くのか? 「グローバル人材」たちの苦労と葛藤(2)

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世界の理系エリートが集まる米国トップスクールMIT(マサチューセッツ工科大学)。そこには、どんな学びがあるのか? 6年半の留学の後、紆余曲折を経て、夢のNASAジェット推進研究所に職を得た著者が、 『宇宙を目指して海を渡る MITで得た学び、NASA転職を決めた理由』 刊行を記念して大好評連載を一時復活!!
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 世界で200も国があるのに、どうして日本とアメリカに住んだだけの人が「グローバル」(世界的)だなんて大きな顔ができるのだろうと、いつも思う。

それは宇宙人が孫正義とビル・ゲイツと会っただけで、地球のすべてを知ったと豪語するようなものだ。

いや、アメリカだけとは言うまい。だが、ほとんどのケースにおいて、「グローバル人材」を自認する人が引き合いに出す国は、せいぜいゴールドマン・サックスがオフィスを構えるような国の外に出ることはない。

僕が「グローバル人材」なんていう言葉を好きになれない理由のひとつがここにある。

僕は今回の著書において、世界の広さと謙虚に向き合う方法のひとつとしてバックパック旅行を挙げ、コスタリカ、ニカラグア、セネガル、そしてガンビアへの旅の経験談を書いた。

だが、旅人はしょせん、客人でしかない。僕のボストン時代の友人たちの中には、自称「グローバル人材」たちが見向きもしないような国に住み、謙虚に、たくましく頑張っている人たちがいる。

彼女たちは有名人でも何でもない。留学経験を振りかざして目立とうなどとも考えない。よその国といちいち比較して、偉そうに日本批判をするような人でもない。ましてや、たとえば「美人グローバルエリート」などというバカバカしいブランドで自分をメディアに売り込もうだなんて微塵も思わない。ただ素直に、こつこつと、それぞれの信念に従って生きている人たちだ。だからこそ僕は、彼女たちのことを書きたいと思ったのだ。

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