世界で200も国があるのに、どうして日本とアメリカに住んだだけの人が「グローバル」(世界的)だなんて大きな顔ができるのだろうと、いつも思う。
それは宇宙人が孫正義とビル・ゲイツと会っただけで、地球のすべてを知ったと豪語するようなものだ。
いや、アメリカだけとは言うまい。だが、ほとんどのケースにおいて、「グローバル人材」を自認する人が引き合いに出す国は、せいぜいゴールドマン・サックスがオフィスを構えるような国の外に出ることはない。
僕が「グローバル人材」なんていう言葉を好きになれない理由のひとつがここにある。
僕は今回の著書において、世界の広さと謙虚に向き合う方法のひとつとしてバックパック旅行を挙げ、コスタリカ、ニカラグア、セネガル、そしてガンビアへの旅の経験談を書いた。
だが、旅人はしょせん、客人でしかない。僕のボストン時代の友人たちの中には、自称「グローバル人材」たちが見向きもしないような国に住み、謙虚に、たくましく頑張っている人たちがいる。
彼女たちは有名人でも何でもない。留学経験を振りかざして目立とうなどとも考えない。よその国といちいち比較して、偉そうに日本批判をするような人でもない。ましてや、たとえば「美人グローバルエリート」などというバカバカしいブランドで自分をメディアに売り込もうだなんて微塵も思わない。ただ素直に、こつこつと、それぞれの信念に従って生きている人たちだ。だからこそ僕は、彼女たちのことを書きたいと思ったのだ。
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